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2016年05月

Co-Co Life☆女子部 | Co-Co Life☆女子部 〜こころのバリアフリーをめざすコミュニティーサイト〜という、

キラキラ系リア充障害女子が載る雑誌(←悪意はないです)があります。

電子書籍は無料で読めます。
フリーペーパーの様相ですが、フリーペーパーではないようです。
一度だけ知人から一部もらったことはあります。

そんな程度だったのですが、
少し前にFacebookのタイムラインで、アンケート募集の記事が流れていました。

何やら今回は男子の情報を集めているとのこと。
そのとき僕は、なぜか気持ちが軽い躁状態(障害や病気ではなく誰しもたまにあるやつです)になっていた夜だったので、
ささささっと、キーボードを打って送信ぽちっとしていたのです。

すっかり忘れていて、載るのだったら連絡くらいあるだろうと思っていたのですが、

無かったんですね。

Facebookのお友達から、何の関係もない記事のコメント欄に読みましたよ。とコメントがあったのです。

名称未設定


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急いでチェックしました。
http://www.co-co.ne.jp/ebook/cocolife16/

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パッと見、よく分かりませんでした。

いつもと違って男子ということは分かります。

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どこか私のような非モテには関係ないオーラを感じます。

パラパラと見て、終わってしまったので、もう一度。
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ん?
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ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。

こんな片隅に。

こんな世界の片隅に。

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何言っちゃってるんでしょう。

これがこれが、全国各地の知らないところで読まれてるかもしれないと思うと、
背筋が凍りつきます。

一問一答形式で答えたはずのアンケートが、会話調に変換されているし、

なぜ、「おっぱいが大きくてエロくて松下奈緒似の清楚系お嬢様みたいな女の子がタイプ」と書かなかったのでしょう。

そして、どこかで聞いたことあるような雑学の受け売りをドヤ顔で披露。

でもでも、ココライフの女性の皆さんをね。リア充の皆さんをね。

きちんと、ほめたんですよ。

何かアクションがあってもいいじゃないですか。

連絡きてもいいじゃないですか。

「はるたさん、ココライフ読みました☆もし良かったらお友達から始めませんか」みたいなやつ。

2016年5月29日現在、0通です。





小学5年の1年間、密に仲良くしていた同級生の友人がいた。
仮に、M君とでもしておこう。
M君とは保育園のときから一緒だったが、それまで特に一緒に遊ぶような間柄ではなかった。
小学校入学してからもクラスが違うことが多く、ほとんど接点はなかった。
こう言ってはなんだがM君については、目立つような話や噂も聞いたことがなかったので気にもしていなかった。
それが小学5年生に上がったときの最初に、席が隣同士になったのである。
僕は、昔から知っている人ではあるけれども実際どうなのかなという思いがあったが、それは杞憂だった。
何がきっかけで仲良くなったのかは忘れたが、気がついたら仲良くなっていた。
M君は将棋が僕より強かった。
僕の小学生の頃は、一部の男子は将棋をやっていた。
そして、学校外でも頻繁に遊ぶようになっていた。
M君の家に行き、(母親に車で送り迎えをしてもらう)テレビゲームのボンバーマンをよくやっていた。
M君は、ゲームも自分より上手かった。
将棋もゲームも強いM君に、僕は少しの憧れを抱いていたのかもしれない。
また、M君も僕の家によく遊びに来ていた。
日曜日になると、M君が家にやってきて僕の父親が車で市の中央図書館に連れて行くということを何回もした。
僕は子どものころから読書が好きな方だったが、M君はどうだったのか定かではない。
僕の弟も同乗して一緒に行くこともあった。

そんな日曜日、いつもと同じようにM君は僕の家に自転車で来ると、
僕は助手席に、M君は後部座席に乗って図書館に向かった。
図書館は、車で15分ほどの市内の真ん中に位置する場所だった。
一角に歴史民俗資料館も入っているが、建物自体は古かった。
図書館に入って、借りていた本を返却すると僕らは次に借りる本を物色し始めた。
本棚の前でいろいろ見ていたとき、僕はあることに気がついた。
M君が、ガムを噛んでいたのだ。
「図書館内では飲食をしてはいけない」というルールが刻み込まれていた小学生の僕は、
「M君、それガム?」と聞いた。
そうするとM君はニヤッと笑って、歯のすき間からガムを見せた。
僕は内心、大人にバレないかヒヤヒヤしつつ、(今、思えば大人の顔色をうかがうような子どもだったのかもしれない)
「駄目だよ」と軽く言った。

そうするとM君は、口からガムを取り出すと、指でガムを摘んだまま、
本棚の下の段の天井の奥に貼り付けたのだ。
予想外な展開に僕はとても驚いた。
M君は、さっきよりニヤニヤ笑っていた。僕も注意するどころか、
「え?ちゃんとくっついた?」と確認したりした。
M君は、しゃがみこんで上を覗き込むようにすると、「うん。くっついてる」と言った。

そのときから僕とM君の間に「秘密」ができた。

図書館に行くたびに、ガムがまだくっついているか確認した。
たとえその棚の本を出し入れしていても気づかないだろう。
そのガムは、僕とM君の友情の印のように毎回きちんと貼り付いていた。
小学5年が終わって、小学生最後の1年になった。

小学6年になると、僕は不思議とM君と親密に遊ぶことは減っていった。
特に何かきっかけがあったわけではなく、自然な流れだったように思う。
僕は弟と2人で図書館に行ったときも、弟にそこにガムがあるか確認させた。
自分では低すぎて確認できないのだ。
その確認が、図書館に行く一つの楽しみにもなっていた。
時は経ち、図書館に行くこともなくなり、その図書館は今はもうない。

もし今でもあったら、ヘルパーさんに確認させていたかもしれない。
いつまでそのガムが本棚の片隅に貼り付いていたのか分からないし、
もう知る由もない。

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その日、彼女はミニスカートで現れた。左足に補装具をつけて。
「また少し悪くなっちゃった」と笑いながら、彼女は言った。
僕は補装具をつけているということよりも、彼女がミニスカートを履くんだということに少し驚いた。
彼女とは今まで何回かデートしたことがあって、いろいろなところに一緒に行ったけど、一度もミニスカート姿を目にしたことはなかったからだ。
僕はそれまで、ミニスカートを履いている女性にあまり出会ったことがなかった。
僕のミニスカ経験値は極めて低かったためか、ドキドキした。
一緒に歩いている間、ついつい目線はミニスカートとそこから出ている細い足に目がいってしまう。
ガン見しないように自制しつつ、
僕らは会うと、お互いに写真を撮り合っていた。記念写真という意味合いで。
そして、彼女がイベントの係員から話を聴いている後ろ姿を僕は写真に収めた。
友人とは言えミニスカートの女性を後ろから撮るなんて、どこか背徳感のようなものを感じた。
家に帰ってから、写真の整理をしているとその写真が当然出てきた。
そのときに僕は予感めいたものを感じた。
トリミングして、編集して出来たのが最初の写真だ。
でも僕はとてもいいと思ったものの、彼女に使用許諾を得ないとと思った。
人によっては否定される写真だろう。
恐る恐る、「この編集の仕方は不愉快かな?」と聞いた。
そうしたらすぐに、
「そんなことないよ(*^^*)」と顔文字つきで返ってきた。

その言葉に僕は、温かい気持ちになった。

今は亡きスティーブ・ジョブズは2005年、スタンフォード大学の卒業式において卒業生に向けてこうスピーチした。
あなた方は先を見て点と点をつなぐことは出来ないけれども、過去を振り返るとそれらをつなげることが出来るのです。だからあなた方は、将来点同士が何らかの形でつながることを信じなければなりません。

小学6年間は、家のすぐ近くの普通小学校に通っていました。
入学前、昇降口にスロープをつけてもらいました。
トイレも1つを洋式に変更してもらい、手すりもつけてもらいました。
教室で使う椅子も特別なものを作ってもらいました。

入学前、そういった配慮がなされました。

小学校卒業後、僕がいなくなってもスロープやトイレの手すりは取り壊されることはなかったようです。(当たり前のことかもしれませんが)
でもその後,車いすを利用した身体に障害がある子が通っているというような話は聞きませんでした。
それが僕が30歳になりつつあった頃、知人から車いすのお子さんがいるという話を聞きました。
写真も見せてもらいました。
その子の親御さん曰く、「なぜかスロープが始めからついていたので助かった」とおっしゃっていたそうです。
それに対して知人は、「それは20年前に、先輩が入学したときに作られたものなんですよ」と言ってくれたそうです。
その話を聞いて、そのときは、へぇと思ったのですが、
あとから冒頭の点と点をつなげることを思い出しました。

ジョブズさんが言っていた点と点は、どちらも自分の点だけれど、
僕の点と別の誰かの点をつなげることもできるのだと。

海までの道を二人で歩いていた。

その頃の僕の電動車いすは遅くて、思いっきりレバーを前に倒しても普通の人が歩くスピードにすらならなかったように思う。
ときどき停止させて手を休ませないと、きつかった。

そんな僕の様子を見て、
「車いす、押そうか」と隣を歩いていた彼女は言った。
しかしその優しさを僕は、なぜか断った。
ゆっくりゆっくり、休み休み歩いて、海岸までたどり着く。

そして、二人で並んで海を見ていた。
もうすぐ夕方になろうとしていて、遠くには、海に浮かぶ空港が見えていた。
ときおり飛行機が、離発着している。

たわいもない話をしていて突然、僕は聞かれた。
「はるたくんは、夢ってある?」
今まで夢について人から聞かれたことはなかったし、
大学生の僕は、大してこれといった夢を持ち合わせていたわけではなかった。
というか、すぐに答えられる夢なんてなかった。

ましてや、同い年の女の子と二人で海を見ながら夢について聞かれる。というシチュエーションに、動揺していた。

何か答えなくちゃと思った僕は、しどろもどろになりながらも、
「大学卒業したら、とりあえず仕事したい。通えないから家で」と言った。
彼女は、興味があるでもないでもない様子で、ふーんと言った。

そして、自分自身の夢について語り始めた。
その後、少しまた二人で散歩した。

僕の在宅勤務での仕事は、1年ずつ契約更新してもらえて5年が過ぎた。
できる仕事の内容もだいぶん増えた。

あのとき、しどろもどろになりながらも答えた夢、
どこか漠然としていた夢は叶ったんだな。とふと思った。

私が中学1年の頃です。夏休みに入る前の体育の時間にプールの授業がありました。
私が通っていた学校ではクラス単位での生徒の人数が少なかったため、
体育は複数のクラス合同で行うことがありました。
その日のプール授業も合同でした。
課題が与えられると数人の先生がプールサイドにいて、生徒たちを見守っていました。

後半になり場も何となく落ち着いてきた頃、私のクラス担当ではなかった女性教師のK先生が上着を脱ぎ出すと、突然泳ぎ出しました。
K先生は当時20代後半でしたが、先生も泳ぐのかと私は驚きました。
先生は水着は着ているものの、それは生徒に何かあったときのための救助用だと思っていたからです。
小学校のときは教師自身が泳いでいたところを見たことはありませんでした。
それが中学生になって何も起きてないのに突然、女性のK先生は泳ぎ出したのです。
1往復泳いだだけで、K先生は上がってきました。
今思えばK先生は決して美人とは言えるものではなかったものの、
当時、思春期真っ只中だった私は、K先生は若くて美人な先生だと思っていました。
先生がプールから上がる瞬間、私はプールサイドにいたので、そのとき見たK先生の真っ黒の競泳水着姿にドキドキしました。
その後の先生が気になって、ちらちら見ていると他の先生との会話が聞こえてきました。
競泳水着のK先生に向かって、一人の男性教師が言います。
「どうでした?」
「ええ、大丈夫でした」私は始め何を言っているのか分かりませんでしたが、冷たい、温かいという言葉が出てきたので、徐々にプールの水温について話しているのだということが分かってきました。
その後、そのK先生がプールに入るところを見たことはなく、また別の先生が泳いでいるところも見たことはありませんでした。

話は変わって数年後、高校のときの担任が若くして亡くなり、お葬式に参列したことがありました。
その帰り際、学校という世界も狭いのでしょう。
何と参列者の中に喪服姿のK先生がいました。
お葬式という場ということもあってか、何も言葉を交わすことなどなく、
ただ目配せをしてすれ違っただけでしたが、なぜかそのとき私は、真っ黒の喪服姿のK先生を見て、あのときのプールの授業の真っ黒な競泳水着姿のK先生を思い出したのでした。
それ以来、K先生に会ったことはなく話を聞いたこともありませんが、夏が来るたびにふと思い出すことがあります。

 その昔、祭りは日常を忘れるためのハレの日とされていた。
男女が外で堂々と話すのも憚られていた時代、祭りは男女の交際が許されるひとときでもあった。

森谷は、4年ぶりに高級歓楽街を訪れていた。
ジーパンのポケットには、札束でパンパンに膨れ上がった安財布が入っている。
財布は中学生の頃から使っている古いものだったが、中身のお札は3日前に下ろしてきたばかりの新札である。
寂れた駅の裏口に降り立つと、どんよりとした灰色のビル群が森谷の前に立ち並ぶ。

真夏の真っ昼間。これからグングンと気温は上昇するばかりだろう。早く室内に入りたいと思った。
何も悪いことをしていないのに交番の前を少しヒヤッとした気持ちで通り抜けると、
目当ての店に吸引されていく。

ここに来るのも実に4年ぶりであった。
オリンピックだな。いや、ワールドカップかと森谷は思った。
4年間、少しずつお金を貯めて高級風俗店で一気に使うのを森谷は楽しみにしていた。
この日だけは、特別な日にしようと決めていた。
煌びやかな待合室に通されると、2人の客が一人掛けのソファーにそれぞれ座っていた。

森谷は、「クソエロじじい共が」と思うと、自分もその一人であるということは思いもよらず、ボーイに促されるままにソファーに深く腰掛けた。
膝をついたボーイがお飲み物はいかがいたしましょう。と話しかけてくる。
ホットコーヒー。と無難な選択をする。正直、飲み物なんかどうでもいいのだ。
昼飯は家を出てからラーメンを啜ってきたし、駅を下りたあとも持参したミネラルウォーターで喉は潤してある。
しかしここは店のシステムに従うしかない。
すぐにボーイが、お盆にコーヒーを載せて持ってくる。
湯気がモクモクと出ていた。熱々である。
熱いのでお気をつけください。
サイドテーブルにコーヒーカップを置くと、ノシノシとどこかに行ってしまった。
高級店とは言え、どうせ飲み物はインスタントだろうと森谷は思った。

ふと目の前を見ると、40インチくらいの大型テレビにタイトルも分からない洋画が流れていた。
音量は聞こえるか聞こえないかだったが、字幕付きなのでストーリーは分かった。
ただそれは飾り物に過ぎず、真剣に観ている者は誰もいなかった。
もしかすると4年前も同じ洋画だったのかもしれない。
またさっきのボーイがやってくる足音が聞こえた。今度は、料金の支払いだろう。
スポーツサンダルを履いていて、太っているせいかミッシミッシミッシと聞こえる。
森谷は、アニメ映画「千と千尋の神隠し」の湯屋に出てくる人たちのことを思い出した。
あれも銭湯のていをしているが、ここと同じなのだろう。
スマートに料金を払い終えると女の子を待った。
そして、これから来るであろう女の子について考えていた。入れ替わりや女の子の消費期限が激しいこの業界で、その子はまだ働いていた。

森谷は、ホームページの在籍コンパニオン一覧で彼女を見つけたとき、歓喜の雄叫びを上げた。
雄叫びと同時に落としてしまったスマホを拾い上げると、速攻で指名予約の電話をしたのだった。
「ご準備が整いました」ボーイにエレベーターの前に連れて行かれる。
扉が開くとそこには、三つ指をついた女性がいた。高級店ならではのサービス。
4年ぶりの再会である。
「お久しぶりです」彼女は開口一番、笑顔でそう言った。
覚えているわけないだろと思いつつ、森谷は「元気にしてた?」と言った。
エレベーターは閉まり、誰も見ていないことが分かると二人はキスをした。

非日常の始まりである。

次第に熱くなっていく偽物のキス。唇を離すと、エレベーターが動いていないことに気がついた。
彼女は笑うと、ボタンを押した。そしてまたどちらからともなく、キスをした。
森谷は、彼女の笑顔が好きだった。初めてこの歓楽街に来たのは、12年前だった。
25歳で女も知らないのかと先輩から言われて半ば強引に連れて来られた。
初めての相手は性格も見た目も最悪なデブスだった。
もう一生来ないと誓ったものだったが、それから彼女ができるでもなく結婚するわけでもなく、4年後にまた訪れる。そのときは、まあまあだった。

さらにその4年後の3回目で、彼女に出会った。

「良質であり高貴な体験」
「ラグジュアリー感溢れる優雅なひととき」

使ったことがないような最上級の言葉が次々と思い浮かんだ。
エレベーターの扉が開くと、僕たちはキスを止めた。手を引かれるまま、部屋に到着する。
部屋に入ったら、すぐ目の前にお風呂があるというのも奇妙な光景だ。
すぐ脱げそうなドレスをするりと脱ぐと下着姿のまま、湯の準備をしていく。

「少し待っててね」森谷は時間がもったいないと思い、後ろから彼女を抱きしめた。
あせってすぐに胸の方に手を持っていく。
「まだ時間あるよ」彼女にはすべてを見透かされているようだった。
風呂というのは、様々な効果があると聞いたことがある。
体を温めるということはもちろん浮遊力によるリラックス効果など。
このお風呂ではどんな効果があるのだろうと森谷は思った。
風呂の中で、ひとしきりイチャついた。
風呂から上がると、森谷は2つの丘にむしゃぶりつく。それは獣のようだった。
胸という丘から悲鳴のような声が聞こえる。
4年前もそうだった。丘から下り、どんどん舌を這わせていく。
ベッド上で彼女に馬乗りになってもらい、森谷はオレンジ色の蛍光灯を見つめていた。

快感に酔いしれながらも2年前に好きだった女性のことを思い出していた。
その女性と上手くいくはずだった。
ここにはもう来る必要はないと思っていた。
今、馬乗りになっているのは風俗嬢ではなくて、その女性のはずだった。
そう思うと、急に森谷に怒りとも性的興奮ともつかないような気持ちが襲ってきて、強引に正常位に持ち込んだ。
ほどなくして、森谷は彼女の世界の中で果てた。
時間は、まだたっぷりあった。少し世間話のようなことを話した。
仕事については彼女には言っていなかった。
森谷は、障害者の介護福祉士をしていた。
介護の仕事をしていることを話し始めたら、彼女はうなずいてくれたので分かってくれていると思ったのだが、
「うちのおじいちゃんもね」と高齢者介護の話をし始めて、
「いや、そっちじゃなくて」と言いそうになったが止めた。
「また来てね」時間になると彼女は、エレベーターから出る瞬間に森谷の頬にキスをした。

また来ることはあるのだろうか。来るとしても4年後だろう。
そのときもこの子はまだここで働いているのだろうか。

ボーイが、「どうでした?」と聞いてくる。
「良かったですよ」目的を果たしたら、素っ気なく早くここを出たいと思っていた。
さらに会員になることを勧められたが、断った。
老舗優良店を謳っている店だから入会を断ったからと言ってどうかなることはない。

外に出ると、雨が降っていた。
それも、ひどい土砂降りの雨だった。

4年ぶりのハレの日がもうすぐ終わる。

呼ネット会員の交流イベント、呼ネットCafeが名古屋に初進出!
「呼ネットCafe in 名古屋」を開催します!!

●日時  

2016年6月26日(日)13:30〜16:30(受付13:00〜)

●場所

AJU自立の家サマリアハウス

〒466-0037名古屋市昭和区恵方町2-15
TEL:052-841-5554
FAX:052-841-2221
*地下鉄御器所駅(桜通線)下車、徒歩10分
*名古屋駅から御器所駅までは桜通線で15分です。
http://www.aju-cil.com/inquiry/samaria.html

●参加費

未定

●申込方法 

以下の項目を申込み先(AJU車いすセンター)までメールでお知らせください。

・氏名
・参加人数(呼吸器ユーザー本人、介助者、家族の区分も)
・住所
・連絡先(電話、メールなど。当日連絡先も)
・所属団体(無・有、有の場合は記入)
・車椅子(電動・手動・ストレッチャー・その他を選択)
・電源(必要・不必要・あれば使用したいを選択)
・その他(聞きたいことなど)

●申込締切日

2016年6月17日(金)

●申込み先

AJU車いすセンター
email : aju_kurumaisu@aju-cil.com
: 052-851-5240
fax : 052-851-5241

福祉の場合は、困難事例。 医療の場合は、困難症例といったところか。




僕は、自分の身体について困難というか、昔から「難しい」と感じることが多い。
自分でもそう思うのだから、自分ではない人はもっと難しく感じたりしているのかもしれない。
福祉に関しては、僕は自分のことはあまり難しいと思っていないのだが、
身体の向きの変え方や座り直しの方法については少し特殊性があるのかもしれない。
他の人をあまり知らないので、よく分からないが何となくそう思う。
ヘルパー事業所の新規受け入れがほぼ断られるということからも、困難に位置づけられているのかもしれない。
おそらく、たんの吸引があるためだと思われる。

医療については母から冗談で、「過去に手こずった症例として、どこかの医療専門誌にでもあんたのこと書いてあるんじゃない?」と言われたこともある。
確かに小児科時代は苦労されていたように思う。今、よく生きているなとも思える。

福祉でも医療でも「困難」になったら登場する人や場所というのはいる。
やはりそういった人たちというのは、どこか普通とは違う感じはある。

自分のことに関して言えば難しいと思っていたことでも、こうすればいい。これを気をつけておけばいい。という答えが見つかることもある。
答えが見つからないことの方が多いのかもしれないが、クリアすればそのことは困難ではなくなる。

困難かどうか、それはやはり「環境」や「その人のレベル」によるものなのかもしれない。


僕自身、ある言葉を言われると、その言葉がトリガー(引き金)となって、
なぜかその人と疎遠になってしまうという法則のようなものがあります。
法則ではなく、ただ単に印象に残っているだけなのかもしれませんが、
今、思い出すだけでも3人います。
あえて、どこの誰とは書きません。

1. これから長い付き合いになるんだからさ
数回、会ったくらいなのに、なんでそんなこと言うんだろう。分かるんだろう。と印象に残って違和感を感じていたのですが、2年くらいして会わなくなりました。
特別なことがあったわけでもありません。一応、連絡しようと思えばできる仲ではあります。


2. これからずっと来るんだから
僕が何か言ったことに対して、(何を言ったのかは忘れた)この言葉を返されました。
このときも、人生何があるか分からないから、そんなこと分かるわけないじゃんと心の中で思いました。
ほどなくして、会わなくなりました。これは、喧嘩別れのようなものです。


3. 一緒に年、取っていこうよ
1と2では少し違うのですが、1と2で感じた気持ち、ざわっとした感覚が似ていたので同じ分類にしています。
この人とは関係は悪くなく、別にいいけど。と思っていましたが言われて数ヶ月くらいして会わなくなりました。


一字一句同じということではなく、文脈として、意味として以上のようなことを言われると、
縁が切れます。
そういうこともあってか、ないのか、僕からは一度も以上のようなことを人に言ったことはありません。

こういうことを言わない人は、5年以上の付き合いになっているという印象があります。
まぁ言わなくても縁が切れるということの方が多いのかもしれませんが。

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