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この記事は、2008年に書かれたものですが、加筆修正しておきます。

学校等の経歴です。

保育園(通園)
よちよち歩きですが、歩いてはいました。
よって、みんなと同じですが、途中、大骨折をしてしまうことになります。
長期の入院をすることになりました。歩行器を使い始めました。

院内学級(小学)
かなり短い期間です。院内にある別室に行って、授業を受けるものです。
たぶん、数回しか受けていないので断片的にしか記憶がありません。

共和西小学校(通学)
養護学校に入るか、地元の公立小学校に入るかといったところです。
両親の力、学校の協力もあり、地元の普通小学校に入学しました。
入学する直前、ぜん息で倒れて入院していたので、入学式は出ていません。
口から気管内挿入して呼吸器つけるくらいなので、死んでもおかしくなかったでしょう。
入学式欠席ということで、親は落ち込んだそうです。
そして回復して、学校側も、スロープを設置してくれたり、トイレに手すりをつけてくれたりといった配慮をしてくれました。
小学校生活は、いろいろありましたが、思い出がいっぱいできて楽しかったです。

大府養護学校(中学部・通学)
中学に入る直前、やはり地元の公立中学校に入学するか、養護学校に行くかで悩みました。
小学生の僕にしては、難しすぎる選択でした。
普通の北中学校、港養護学校、大府養護学校のうちのどこに行くかでした。すべて見学しました。
体験入学みたいな経験もしました。
そして、何もしなければ、自動的に肢体不自由児が通う港養護に行くことになります。しかし距離が遠かった。

北中学校も港養護も体力的に厳しそうということで、(幼かったので、親の意向が大きかったのは仕方ない)
大府養護という選択肢になりました。
しかし、大府養護というのは病弱の子が通う学校です。ほとんどの児童生徒は、隣の病院で暮らしています。
親が交渉して、入学しました。

ここで、地元の大府北中学校に入学していたらどうなっていたのだろう。と思うときがたまにあります。
大府養護は、さきほども書いたように長期療養が必要な病弱児が、入院している隣接する病院から通学してくる学校です。
なので、見た目はいたって普通です。たまに、発作で倒れて大変なことになっている生徒を廊下で見かけたりしましたが。
このときの友達とは今でもよく会います。このブログにも書いていたりします。
大府養護では、「養護訓練(通称;養訓)」という時間がありました。
障害の程度別にグループ分けしていろいろとやるんですが、
これはあまり好きではありませんでした。
太鼓を叩くとか、息を吹いてピンポン玉を動かすとか、リハビリ的なことをやるとか、僕にとっては疲れるだけでした。
また小学校のときのように、いい意味での特別視をされなかったので、
いろいろと体力を消耗した面もあるにはあるかもしれません。

大府養護学校(中学部・院内訪問授業)
中学1年の冬から、体調がおかしくなりました。
気管切開。そして、長期の入退院を繰り返すことになります。
病室に、大府養護の訪問学級担当の先生がきてくれて週3回授業を受けました。
結構、ユニークな先生が多く、テーブルゲームとか楽しいこともよくやりました。

半田養護学校(中学部・在宅訪問授業)
中学3年の頃より、夜間〜午前中だけ人工呼吸器を使うようになってから、
一気に体調が安定しました。
自宅で過ごせるようになります。
大府養護では、院内での訪問授業は可能ですが、自宅では制度上、不可になっています。
よって、半田養護学校に転校になりました。
半田養護学校は、主に知的・発達障害がある児童生徒が通う学校です。
よって、訪問授業の先生たちは、教科書を使った一般的な科目の授業を長年やっておられなかったので、
お互い非常に苦労しました。
今では普通に話せますが、当時の自分は先生に対してキレまくっていました。
つらくて泣いてもいました。月に1回、訪問授業を受けている生徒たちが集まる集団学習というのは何のメリットも感じられなかったので行きたくなかったし、
先生一人ひとりは懸命に努力しておられましたが、全体としてみれば一番合わなかった学校です。

半田養護学校(高等部)
中学3年のこともあって、動きました。
両親が県の教育委員会に出向いたり、学校と話を持ってくれたりしました。
科目授業経験のある先生にしてくれ。と頼みました。
当時、半田養護には、大府養護に通学していたときにお世話になった先生が転任してきていたので、
その先生がいるじゃないか。と言った記憶があります。
高校1年から、先生が刷新され授業スタイルが「まともに」なりました。

日本福祉大学通信教育部
放送大学と天秤にかけていましたが、勉強だけでなく、
学生間の交流がしやすそうだったので、日福を選びました。正解でした。
実際に学校に行って講義を受けるスクーリングを受講しなくてはいけなかったのですが、
僕の場合は、1日中外出しているのは困難でした。
学校側は、スクーリングをビデオ収録したものを郵送してくれて、それを視聴。
その後、教授が自宅訪問。少しの間のマンツーマン授業。これは、めちゃくちゃ緊張しました。
そして後日、レポート提出という流れでした。
入学したときの計画通り、6年で卒業できたのは、うれしかったです。稀にみる成功パターンでした。
また、高校のときの先生が、毎年の春に来てくれて(ボランティアのようなもの)1年の進捗状況の確認と履修登録を手伝ってくれたということは忘れてはいけないことだと思います。

卒業にあたってのご挨拶

まとめ〜以上のことを経験してきて思ったこと〜
大府養護学校(中学部・院内訪問授業)から半田養護学校(高等部)までは、
そういう環境もあってか新しい友達というものがいませんでした。
なので、インターネット上での同世代の人との交流が、すごく楽しかった思い出があります。

どんな障害にせよ、とりあえずは「養護学校以外」
つまり、地元の公立小学校なり中学校なりに通うことができるのなら、
通ってみることを強くおすすめしたいと思います。
それには、教育委員会なり学校なりの協力が不可欠。
話し合いを持たれるといいと思います。

最近は、インクルーシブ教育、インクルージョン教育(すみません。英語知らないので違いはまだ調べてません)なんて言葉が言われていますが、
そんな言葉は無かった時代の話です。あったかもしれないけど知らなかった。

養護学校と言うのは、いろんな意味で特殊だと思います。
僕は、はっきり言って自分に合っているとは思いませんでした。
もちろん、先生一人一人に対しては素晴らしい人がいるし、
今でも交流がある先生や友達はいます。

ただ、現在の学校制度から考えて、障害によっては、養護学校の方が合うという場合もあります。
そこは、当事者の生徒や子どもさんの状況をよく見て判断された方がいいかと思います。
インクルーシブ教育は、なんでもかんでも普通学校に入れるということではないようです。

僕は、普通小学校も養護学校(さらに、訪問教育!)も大学の通信教育部も経験しました。
そんな人も日本全国になかなかいないでしょう。
だからこそ、お話できるものはあるかと思います。

以上、固有名詞を出したので関係者の方々には迷惑なこともあるかと思いますが、
参考になる人もあると思うので、寛大な心でお願いしたいと思っています。
また、間違っている部分、今では変わった部分もあるかもしれません。
その都度、ご指摘願いたいです。