第6回市民講座の案内
■「尊厳への問い」を問いなおす―「いのちの倫理」のために
講師:田中智彦さん(東京医科歯科大学教養部 准教授)
■看護と尊厳―その人らしく生きることを支える―
講師:MOTOKOさん(看護師)
▼日時: 2014年7月12日(土)13時30分〜16時45分(開場13時)
▼会場: 豊島区勤労福祉会館4階(第3・第4会議室)
住所:東京都豊島区西池袋2−37−4
TEL:03−3980−3131
JR池袋駅(南口・西口 メトロポリタン口)徒歩7分
地図 http://members.jcom.home.ne.jp/s_tamaya/kuro/ikebukuro.htm
▼資料代:500円
▼共催/連絡先
<臓器移植法を問い直す市民ネットワーク>
新宿区西早稲田1−9−19−207日消連気付 携帯080(6532)0916
e-mail:abdcnet@gmail.com ブログ:http://blog.goo.ne.jp/abdnet
<脳死・臓器移植に反対する市民会議>
代表:篠原睦治 Tel:03(5624)6064

【講師プロフィール】
■田中智彦さん(東京医科歯科大学教養部、准教授)
1967年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程単位取得満期退学。
早稲田大学教育学部助手を経て2000年より現職。専門は哲学・政治思想。
著書に『生命倫理の源流――戦後日本社会とバイオエシックス』(共著、岩波書店)、
『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植』(共著、岩波書店)など。
訳書にチャールズ・テイラー『〈ほんもの〉という倫理――近代とその不安』(産業図書)、
同『自我の源泉――近代的アイデンティティの形成』(共訳、名古屋大学出版会)など。
〔講演によせて〕
「いのちの尊厳」であれ「人間の尊厳」であれ、私たちは多くの場合、「尊厳」をめぐってはそれが「ある」のか「ない」のかといった問いかたで問題にする。
そして、そうした問いはたいていの場合、問われている対象が「尊厳」を認められるに「値する」存在なのか「値しない」存在なのかという、尊厳のいわば「資格要件」をめぐるもう一つの問いとセットになっている。
こうしたことはある意味、やむをえないことではあるだろう。
しかしまた、そうであるからといって、「尊厳」には別の問いの立て方、語り方があるかもしれないことまで否定されるわけではない。
ではそのような別の問いのたて方、語り方があるとすれば、それはどのようなものになるのだろうか。一つの試論を提示し、参考に供したいと思う。

■MOTOKOさん(看護師)
28年余り臨床看護を実践。主に救急・集中治療室で勤務。災害救護への参加、心肺蘇生法の普及にかかわる。
脳死臓器移植のドナーの方を看取った経験を機に「いのち」「看取り」、「看護とは」等について考えている。
〔講演によせて〕
私は、脳死臓器移植のドナーとなる患者さんを看護した経験から、看護師が患者に尊厳をもって関わるとはどういうことなのかについてお話したいと思います。
大切な家族の死を前にして残された時間は、患者と家族の為にあります。それは、亡くなっていかれる悲しみを悲しむ時間でもあります。
家族の承諾によって臓器提供のドナーとなる患者さんとそのご家族にとっても、残された時間は共に生きる最後の時間です。
「看取り」とは、「残された生を共に生きること、やがて鼓動を止めて冷たくなっていくいのちの傍で、見守り悲しむいとなみ」でもあります。
私にとって「尊厳」とは、「その人らしく生きることのかけがえのなさ」を自分からも他人からも大切にされることによって尊厳が尊厳として守られていくものなのです。
自分が今あるままに生きていていいのだという自己肯定と、そうして生きるありのままのその人の生のかけがえのなさを周囲の人だけではなく社会の在り方として大切にされること、このいわば内と外からの肯定によって、たった一人のその人の尊厳が尊重されていくものなのだと思います。