コミュニケーション方法としての「手話」のコメント欄において、榎本さんが興味深いサイトを紹介してくれましたので、

ここで改めて取り上げておきます。



ろう文化は自閉文化のモデルになりうるか



そもそも、ろう文化ということ自体を私は知らなかったのですが、

この文章を読んでも、いまいち「ろう文化」ということに対して、そうだそうだとは思えませんでした。

経験値が少ないせいだと思いますが。

作者の、ろう文化と同じく自閉文化も!という提言については納得できました。



それで、この文章の中で、いくつか気になったところを引用しておきます。

気になった、心の針が振れたということで、賛成反対についてはあえて書きません。



「ろう者」というのは、聴力の有無で決まるのではなく、「ろう者らしいふるまい、行動をするかどうか、手話という言語を共有しているか、ろう者文化を共有しているかどうか」で決まるのだということです。同じように聴力がなくても、中途失聴者や難聴者など「ほかの耳のきこえない人たち」は、共通の文化を持っていないから、「ろう者」ではないのに、聴者にはこの区別が見えず、「ろう者」が自分たちの文化、社会を大切に思う気持ちをつかみそこなうことが多いという話でした。


ろう者の社会では、自分たちも障害者、視覚障害者や肢体不自由者も障害者、同じ障害者どうし、というようには考えられていない、というのです。盲(もう)の人や肢体不自由の人は、まず「聴者」。そして、「聴者」の中のサブタイプとしての「障害者」だという感覚があるというのです。


まだ聴者の世界には、手話が日本語の代替手段だと思っていたり、手話を使うと日本語が上達しないと思っていたり、いろいろ誤解をしている人が多いのには腹が立ちます。ろう文化でさえ、まだまだ認められていない、知られていないのだから、自閉文化だなんて夢のまた夢かもなー、と、ちょっとブルーになってしまったマルハナバチなのでした。