石川悠加さん(1)全国から患者が集まる「駆け込み寺」に
石川悠加さん(2)「天職」に導いた患者たちとの出会い
石川悠加さん(3)「今がいい」と患者が言えるように 理念を合わせてチーム医療
石川悠加さん(4)共に生きる社会に 広げたい世間の理解


まず最初に言っておくことがある。
僕は気管切開をしているが、NPPVについてはとてもいい方法だと思っている。
それで呼吸状態が安定するのなら、それに越したことはない。
気管切開に伴う様々な煩わしさとも言える事柄(たんの吸引、カニューレ交換、ガーゼ交換、声量etc)から解放されるからだ。
もしも僕が気管切開した頃に、今くらいもしくはそれ以上に、NPPVが普及していたら間違いなくNPPVを試してみただろう。
気管切開前の僕だったら、この方法は僕に合っていたと思う。
歴史や人生において、たら・ればを言っていても意味がないと思うが、
あの日、あのとき、あの前など、いろんな場面場面において、こうならなかった世界というのを想像するときもある。
何度か死にかけたが、でも今、無事に生きているので、そこは素直に感謝しないといけないと常々思っている。
そう言うと、気切塞いじゃえば?という向きも出てくるだろうが、
リスクとリターンを考えたときに、圧倒的にリスクの方が高いだろう。
リターンというのも、障害の程度は変わるわけではないので何がリターンなのかというのもある。

抗議文でも送りたいレベル
それはともかく、上記の記事に書いてある気管切開したら、
「若者らしさが失われてしまった」
「1週間くらいでストレスで胃潰瘍になって亡くなった」
「うつ病になってしまった」
事実だとしても、僕からしたら、
この文脈で、そういうことを書くのは止めてくれと言わざるを得ない。
抗議文でも送りたいレベルだ。
これにより、気管切開への偏見が助長されると思うからだ。
僕は、中学生のときに緊急的に気管切開をしたが、
若者らしさというのは、同世代との交流によって出てくるものだと思う。
学校に通えないと、大人とのコミュニケーションが圧倒的に多くなってくる。
気管切開自体が原因なのではなく、環境によるものだと考えている。
何かしらの方法で、同世代との交流が保てれば若者らしさが失われることもないのではないだろうか。

ちょっとしたことによる呼吸状態
車いすのシーティングの善し悪しによって、呼吸状態が変わってくるというのは実感としてとてもよく分かる。
以前こんなことがあったが、これは車いすの背張りのクッションの一部(左肺のところ)がヘタってきたからだったのだ。

気管切開せざるを得ない状況
進行性の病気により、NPPVが使えなくなり(呼吸状態の悪化)
生きるために気管切開せざるを得なくなった人たちがたくさんいる。
この現状を記事に出てくる石川医師はどう捉えているのだろうか。
自分たちの医療チームにかかれば防げることなのだろうか。
そこを素朴な疑問として知りたいと前から思っている。