春田康吏アーカイブス

在宅勤務をしている医療的ケアが必要な重度身体障害者のブログです。

Category: 学校・教育・特別支援教育・養護学校

今は亡きスティーブ・ジョブズは2005年、スタンフォード大学の卒業式において卒業生に向けてこうスピーチした。
あなた方は先を見て点と点をつなぐことは出来ないけれども、過去を振り返るとそれらをつなげることが出来るのです。だからあなた方は、将来点同士が何らかの形でつながることを信じなければなりません。

小学6年間は、家のすぐ近くの普通小学校に通っていました。
入学前、昇降口にスロープをつけてもらいました。
トイレも1つを洋式に変更してもらい、手すりもつけてもらいました。
教室で使う椅子も特別なものを作ってもらいました。

入学前、そういった配慮がなされました。

小学校卒業後、僕がいなくなってもスロープやトイレの手すりは取り壊されることはなかったようです。(当たり前のことかもしれませんが)
でもその後,車いすを利用した身体に障害がある子が通っているというような話は聞きませんでした。
それが僕が30歳になりつつあった頃、知人から車いすのお子さんがいるという話を聞きました。
写真も見せてもらいました。
その子の親御さん曰く、「なぜかスロープが始めからついていたので助かった」とおっしゃっていたそうです。
それに対して知人は、「それは20年前に、先輩が入学したときに作られたものなんですよ」と言ってくれたそうです。
その話を聞いて、そのときは、へぇと思ったのですが、
あとから冒頭の点と点をつなげることを思い出しました。

ジョブズさんが言っていた点と点は、どちらも自分の点だけれど、
僕の点と別の誰かの点をつなげることもできるのだと。

私が中学1年の頃です。夏休みに入る前の体育の時間にプールの授業がありました。
私が通っていた学校ではクラス単位での生徒の人数が少なかったため、
体育は複数のクラス合同で行うことがありました。
その日のプール授業も合同でした。
課題が与えられると数人の先生がプールサイドにいて、生徒たちを見守っていました。

後半になり場も何となく落ち着いてきた頃、私のクラス担当ではなかった女性教師のK先生が上着を脱ぎ出すと、突然泳ぎ出しました。
K先生は当時20代後半でしたが、先生も泳ぐのかと私は驚きました。
先生は水着は着ているものの、それは生徒に何かあったときのための救助用だと思っていたからです。
小学校のときは教師自身が泳いでいたところを見たことはありませんでした。
それが中学生になって何も起きてないのに突然、女性のK先生は泳ぎ出したのです。
1往復泳いだだけで、K先生は上がってきました。
今思えばK先生は決して美人とは言えるものではなかったものの、
当時、思春期真っ只中だった私は、K先生は若くて美人な先生だと思っていました。
先生がプールから上がる瞬間、私はプールサイドにいたので、そのとき見たK先生の真っ黒の競泳水着姿にドキドキしました。
その後の先生が気になって、ちらちら見ていると他の先生との会話が聞こえてきました。
競泳水着のK先生に向かって、一人の男性教師が言います。
「どうでした?」
「ええ、大丈夫でした」私は始め何を言っているのか分かりませんでしたが、冷たい、温かいという言葉が出てきたので、徐々にプールの水温について話しているのだということが分かってきました。
その後、そのK先生がプールに入るところを見たことはなく、また別の先生が泳いでいるところも見たことはありませんでした。

話は変わって数年後、高校のときの担任が若くして亡くなり、お葬式に参列したことがありました。
その帰り際、学校という世界も狭いのでしょう。
何と参列者の中に喪服姿のK先生がいました。
お葬式という場ということもあってか、何も言葉を交わすことなどなく、
ただ目配せをしてすれ違っただけでしたが、なぜかそのとき私は、真っ黒の喪服姿のK先生を見て、あのときのプールの授業の真っ黒な競泳水着姿のK先生を思い出したのでした。
それ以来、K先生に会ったことはなく話を聞いたこともありませんが、夏が来るたびにふと思い出すことがあります。

高校生のときは、訪問教育で、週3回家に先生が来ていた。
マンツーマン授業である。
基本的には良かったけど、合わない先生だと苦痛以外のなにものでもなかった。
一度だけ、若くて美人の先生が受け持ってくれたことがあって、授業自体はつまらなかったけど、いい思い出かもしれない。

それで、その学校は知的障害の子が主に通う学校だったので、
たまーに学校に行っても、特別話すような子もいなく、
訪問教育を受けてる子は重心の生徒なので、高校生の自分は特に何も感じることなく、
ぼーっとしていた。
言うほど学校には行ってなかったんだけど。

そのときに、本来なら青春の荒波に揉まれるところ、
同世代の子と密に交流しなかったことにより、
大人になって何らかの悪影響や、しわ寄せが出てるんじゃないかとたまに思ったりすることもある。
コミュニケーションするのが、父親母親世代ばかりだったので、
いいことと言えば、年上の人と話す苦手意識が基本的にないということか。

まあそれは仕方ないとして、そのとき同世代と触れ合える唯一の場所は、
インターネットだった。
自作掲示板が流行った時代。CGIプログラムをダウンロードしてきて公開していた。
たまに「荒らし」が来たりして、友達の掲示板が荒れたりもあった。
僕のところは、意外とあまりなかった。
炎上なんて言葉はなく、開かれてはいるけどどこか身内の、牧歌的なイメージがあった。

去年は非公式なものでしたが、今年は職員研修という公式になり、人数も倍以上でした。


講師とか書いてあって、びびりました。

原稿を読んでもらったあと、質疑応答→控え室→質疑応答という流れ。


1時間半くらい。
帰ってきたら、ちょっと疲れました。水分はとってたけど熱中症に近い感じでした。
あまりしゃべらない春田にしては、よくしゃべったなと思います。
調子に乗り過ぎて、人工呼吸器のスイッチのオンオフは家電を入れるようなもの。と失言してしまいました。
あとで、ヘルパーさんに、はるたさん、炊飯器入れる感覚とは違いますよ、と言われちゃいました(笑)



養護学校の先生は日頃、自分の意思をしっかり伝えることができない医療的ケアが必要な重心のお子さんを相手にしておられるので、
その子たちの代弁者的な役割を僕に求めておられるようでした。

難しいな。というのが本音です。
代弁者になれない理由は書けますが、代弁者についてはまだ分かりません。これについてはまたそのうちブログにでも書きますかな。
でも結構、切実に訴えておられるので、いつか言えるようになるのかしら。。。
誰か言える人がいたら連絡下さい。

質疑応答のなかで出た夏フェスのレポート
http://haruta.blog.jp/archives/51723241.html

ちなみに、去年(2011年)のお話
http://haruta.blog.jp/archives/51728873.html


(以下、原稿です)
こんにちは。大府市から来ました春田 康吏です。
今日は、医療的ケア、たんの吸引をしてもらっている立場からのお話をしたいと思います。

息が続かないので、代読してもらいます。

私は、1996年12月1日に、気管切開をしました。
そして、1998年から、夜から午前中にかけて、人工呼吸器を使っています。
体が、疲れたときなども、自分の判断で呼吸器を使っています。
その頃から、多くの人に、たんの吸引をしてもらってきました。

今日、お話することは、あくまで、私が思っていること、感じていることです。
大きく分けて、3つのお話をします。
1つ目は、医療的ケアの基本的な考え方
2つ目は、私が考える理想の支援やケア
3つ目は、周りとの連携の大切さ
です。

それでは、1つ目のお話です。
さきほど、多くの人に、たんの吸引をしてもらってきたと申し上げました。
医師、看護師、家族、理学療法士、マッサージ師、知り合い、友達、ボランティア、
ヘルパーと、数えきれないくらいになりました。
ここにいる榎本先生も、そのうちの一人です。
なぜ、これほど大勢の人に、たんの吸引をしてもらわなければいけなかったのでしょうか。

たんの吸引と言っても、日常生活を送る上での、たんの吸引です。
病院で、医師や看護師がおこなう、医療ばりばりの吸引、
治療的な意味がある、たんの吸引とは、少し違います。
例えば、肺炎になって入院したとき、肺炎になると、なかなか、たんが上がってきません。
そうなると、カテーテルを、かなり奥まで入れる必要があります。
生活場面での、たんの吸引は、そこまでする必要はありません。

ふつうの介助や支援と同じように、ひとりひとり、違うと思います。
とりあえず奥まで突っ込んで、引けてても何でも、少し引っ込めたところで吸う方がいいという人もいますし、
少しずつ奥へ入れていく方がいいという人もいるかもしれません。
正解は無いように思います。
医療的な吸引でさえ、昔と今とでは、やり方が違ってきています。
たんがある場所や、たんの性質も、その人、その人によってクセがあると思います。

何が言いたいのかと言うと、医療的ケア、たんの吸引は、個別性に対応する必要があると、
私は考えています。
オーダーメイドがいいと思います。

2つ目のお話です。
私が思う理想の支援やケアは、なにかというところを話してみます。
たんの吸引ということで言えば、短時間で、たんがスッキリとれる。ということです。
たんがとれるということは、呼吸が、しやすくなるということです。
それを、理想とします。

では、どうすれば、その理想に近づけるのか。
それは、多くの経験と思いです。
とにかく数をこなすことと、どうすればスッキリとれるか。
それを考えていくことです。
数をこなすというのは、一人の人に対してです。
私の場合、現実的に一番多く回数をこなしている人が、上手くなっています。

さて、ここで、最悪な状態についても考えてみましょう。
最悪なのは、たんが詰まって、息ができなくなる。ということです。
しかし、そうなったからといって、いちがいには、支援が悪いということは言えません。
さきほど申し上げた、多くの経験が必要だからです。
最悪な状態にならないようにするために、注意しておくべきことは、いくつかあります。
単純に、一般的な吸引の方法の学習をする、
家族や病院、自治体の担当者と連携をとっておく。
日々、変わっていく情報や、たんの吸引を受ける人の状態を把握しておく。
これは言うまでもないことです。
大事なのは、いつもとは違う。
いつもとは、なにかが違う。ということに気がつく。
これが、大事だと思っています。

具体的には、医療的ケアを受ける、本人の顔色だったり、様子だったり。
また、たんの吸引器、機械自体が故障している、
たとえ故障していなくても、
なにかの加減(かげん)で、設定が変わってしまった。ということも起こってきます。

消毒のために、消毒液を吸ったとき、なんか、いつもとは吸い方が違う。
吸い方が、いつもより弱い。
こういうことは、頻繁(ひんぱん)には起こりませんが、
いつもとは違う、それに気がつくということが、大切になってきます。

気がつかなければ、なかなか、たんは、いつものように取れず、おかしい状態が続きます。
そういうときは、本人にばかり、目がいくでしょう。

3つ目のお話です。
医療的ケアは、ありとあらゆる人とできるだけ連携を取ってください。
私は、制度上の理由で、2007年から、ようやくヘルパーさんに、たんの吸引をしてもらえるようになりました。
始めるにあたっては、家族、病院、大府市の相談支援や福祉課の方と多く話し合いをもちました。

周りの人と気づいたこと、不安なことを共有してください。
周りの人というのは、同僚の先生だったり、看護師さんだったり、保護者の方だったり、自治体の関係者だったりです。
インターネット上で、つながるというのも良いことだと思います。
それにより、医療的ケアの質が良くなっていくと信じています。
絶対に、一人では抱え込まないでください。

最後に、
医療的ケアを、学校の先生がするというのは、まだ始まったばかりです。
始まってもいないかもしれません。制度も、あいまいでしょう。
そもそも、医療的ケアは、学校の先生の本来の業務ではありません。
仕事が増えるだけです。練習もしなくてはいけないし、児童・生徒の命にも関わってきます。
そんなに大変なことを、なぜ、学校の先生がしなければいけないのでしょうか。
それを考えてみてください。

これから、医療的ケアを必要とする人は、増えていくでしょう。
私は、自分も含めて医療的ケアを受ける人たちが、快適に、生活の幅が広がること、人生の質が高まることを期待しています。

医療的ケアは、目的ではありません。
人生をより豊かにするための手段です。

ご清聴、ありがとうございました。

2012年にも行いました。こちらです。




ひいらぎ養護学校で、医療的ケア(たんの吸引)を受ける当事者として、お話をしてきました。
恩師からの依頼で、日にちが迫っていたので、学校の公式研修にはならなかったものの、
参加希望の教員と看護師、約10名の前で、原稿を代読してもらいました。

正直、聴く人の心に届いたかどうかは微妙でしたが、
自分にとって初めてのことで、いい経験ができたように思います。

参加者には、「今日お話したこと」という、まとめの資料、
友人からもらったメールの医療的ケアの部分の全文を提出しました。

以下に原稿載せちゃいます。

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こんにちは。大府市から来ました春田 康吏です。
今日は、医療的ケア、たんの吸引をしてもらっている立場からのお話をしたいと思います。

息が続かないので、代読してもらいます。

私は、中学1年のとき、気管切開をしました。
そして、中学3年の頃から、夜から午前中にかけて、人工呼吸器を使っています。
体が、疲れたときなども、自分の判断で使っています。
その頃から、多くの人に、たんの吸引をしてもらってきました。

医師、看護師、家族、理学療法士、マッサージ師、知り合い、友達、ボランティア、
ヘルパーと、数えきれないくらいになりました。
ここにいる榎本先生も、そのうちの一人です。

たんの吸引と言っても、日常生活を送る上での、たんの吸引です。
さきほど、医師、看護師と言いましたが、
病院で、医師や看護師がおこなう、医療ばりばりの吸引、
治療的な意味がある、たんの吸引とは、少し違います。
例えば、肺炎になって入院したとき、肺炎になると、なかなか、たんが上がってきません。
そうなると、カテーテルを、かなり奥まで入れる必要があります。
生活場面での、たんの吸引は、そこまでする必要はありません。

ふつうの介助や支援と同じように、ひとりひとり、違うと思います。
とりあえず奥まで突っ込んで、引けてても何でも、少し引っ込めたところで吸う方がいいという人もいますし、
少しずつ奥へ入れていく方がいいという人もいるかもしれませんし、正解は無いように思います。
医療的な吸引でさえ、昔と今とでは、微妙に、やり方が違ってきています。

何が言いたいのかと言うと、医療的ケア、たんの吸引は、個別性に対応する必要があると、
私は考えています。
オーダーメイドがいいと思います。

今日、お話することも、あくまで、私が思っていること、感じていることです。
事前に、いくつか話してほしいことや質問をもらいました。
大きく分けて、3つです。
それに、答えていこうと思います。
まず、一つ目です。
これまでの経験で受けた、最上(さいじょう)の支援は、どんな人の、どんな支援だったのか。

これは、むずかしいです。
むずかしいので、まず、私が考える、理想の支援やケアは、なにかというところから話してみます。
たんの吸引ということで言えば、短時間で、たんがスッキリとれる。ということです。
たんがとれるということは、呼吸が、しやすくなるということです。
それを、理想とします。

では、どうすれば、その理想に近づけるのか。
介助者目線から言えば、多くの経験と思いです。
とにかく数をこなすことと、どうすればスッキリとれるか。
それを考えていくことです。
数をこなすというのは、一人の人に対してです。

以上のことから、最初の質問に戻ります。
最上の支援は、どんな人の、どんな支援だったのか。

今までで、一番多くの、たんの吸引をしている人は誰でしょうか。
それは、家族、しいては、母親ということになります。


二つ目に、いきます。
最悪な支援についても、話してほしいということでした。
どこどこの誰。ということは、今までは、ありません。
私にとって、最悪な状態というのは、たんが詰まって、息ができなくなる。ということです。
しかし、そうなったからといって、いちがいには、支援が悪いということは言えません。
さきほど申し上げた、多くの経験が必要だからです。
最悪な状態にならないようにするために、注意しておくべきことは、いくつかあります。
単純に、一般的な吸引の方法の学習をする、
家族や病院、自治体の担当者と連携をとっておく。
日々、変わっていく情報や、たんの吸引を受ける人の状態は把握しておく。
これは言うまでもないことです。

大事なのは、いつもとは違う。
いつもとは、なにかが違う。ということに気がつく。
これが、大事だと思っています。
具体的には、医療的ケアを受ける、本人の顔色だったり、様子だったり。
また、たんの吸引器、機械自体が故障している、
たとえ故障していなくても、
なにかの加減(かげん)で、設定が変わってしまった。ということも起こってきます。

消毒のために、消毒液を吸ったとき、なんか、いつもとは吸い方が違う。
吸い方が、いつもより弱い。
こういうことは、頻繁(ひんぱん)には起こりませんが、
いつもとは違う、それに気がつくということが、大切になってきます。

気がつかなければ、なかなか、たんは、いつものように取れず、おかしい状態が続きます。
そういうときは、本人にばかり、目がいくでしょう。


三つ目です。友達から聞いたこれは!という支援やケアについても教えてほしいとのことでした。
気管切開していて、お話ができる人というのは、なかなかいません。
しかし、インターネット上で、やりとりしている人は、何人かいます。
仲の良い人、二人にメールをしてみました。
一人は、愛知県江南(こうなん)市に住んでいる人です。
この方は、自分自身で、たんの吸引をおこなっている人です。
引用します。
看護師さんは、医療の知識もあり、経験もある。
でも、私に対してのケアは、私だけのやり方があり、必ずしも知識や経験に基づくものだけではないと思うので、利用者(患者)の「こうしたら気持ちいい」、「こうしたら体が楽」などの意見を聞いて、その人、その人に合ったケアを、相談しながら一緒に築き上げていってほしい。
とのことでした。
余談ですが、今度、会って、オフ会をしようかと話をしているところです。


二人目の方は、福岡県北九州市に住んでいる人です。
引用します。
吸引で一番大事なことは、
人(生徒)それぞれ感度が違うってことを心にとめててもらいたいです。
まずは、生徒が普段慣れてる吸引の仕方を覚えること。
自分流にアレンジしないこと。
見て、見て、見て、やって、の長い時間が必要だと思いました。
とのことでした。

二人の方は、まだ他にも書いてくれましたが、ここで、気がついたことがあります。
それは、始めに、私が申し上げたこと、二人が書いてくれたこと、同じだということです。
私は、始めに、医療的ケア、たんの吸引は、個別性に対応する必要があると申し上げました。
江南市の方は、意見を聞いて、その人、その人に合ったケアを、相談しながら一緒に築き上げていってほしい。と言ってくれました。
北九州市の方は、 まずは、生徒が普段慣れてる吸引の仕方を覚えること。自分流にアレンジしないこと。と言ってくれました。

全く、相談もしていなく、同じような意見が出てくるというのは、自分でも驚きでした。

まとめに、入ります。
医療的ケアを、ヘルパーさんや、学校の先生がするというのは、まだ始まったばかりです。
始まってもいないかもしれません。
制度も、あいまいでしょう。
しかし、これから、医療的ケアを必要とする人は、増えていくでしょう。
みなさんに、お願いしたいのは、ぜひ、制度が充実していくのを、待つだけでなく、
みんなが暮らしやすいように、自分たちで法律を作っていく。
それくらいの意識を持ってほしいなと思っています。
医療的ケアを受ける私たちが、快適に、生活の幅を広げることができるようになることを期待しています。
ご清聴、ありがとうございました。
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最初の質問で、母親と答えたのはマザコンとかそういうことではないと思います。
理想は、ヘルパーなんだよね。

母親の吸引は、ヘルパーさんが言うには、神ワザ。
とても真似できない。って言われます。。。僕が指示するんだけど、
そんなお母さんのようには、ちょっとできないよ。。。って言われます。

将来的な理想は、母のような人を今後のためにも育てたい。
専属ヘルパーを雇うか、生涯のパートナー(性格重視なのでたんの吸引できなくてもOKだけど)を見つけたい。

終わったあとに、ヘルパーさんや恩師と少し雑談をしました。
ヘルパーさんにいろいろ介助の指示を出してるのを見て、大人になったとか言われました。あんまりそういう意識は無かったのですが。

この記事は、2008年に書かれたものですが、加筆修正しておきます。

学校等の経歴です。

保育園(通園)
よちよち歩きですが、歩いてはいました。
よって、みんなと同じですが、途中、大骨折をしてしまうことになります。
長期の入院をすることになりました。歩行器を使い始めました。

院内学級(小学)
かなり短い期間です。院内にある別室に行って、授業を受けるものです。
たぶん、数回しか受けていないので断片的にしか記憶がありません。

共和西小学校(通学)
養護学校に入るか、地元の公立小学校に入るかといったところです。
両親の力、学校の協力もあり、地元の普通小学校に入学しました。
入学する直前、ぜん息で倒れて入院していたので、入学式は出ていません。
口から気管内挿入して呼吸器つけるくらいなので、死んでもおかしくなかったでしょう。
入学式欠席ということで、親は落ち込んだそうです。
そして回復して、学校側も、スロープを設置してくれたり、トイレに手すりをつけてくれたりといった配慮をしてくれました。
小学校生活は、いろいろありましたが、思い出がいっぱいできて楽しかったです。

大府養護学校(中学部・通学)
中学に入る直前、やはり地元の公立中学校に入学するか、養護学校に行くかで悩みました。
小学生の僕にしては、難しすぎる選択でした。
普通の北中学校、港養護学校、大府養護学校のうちのどこに行くかでした。すべて見学しました。
体験入学みたいな経験もしました。
そして、何もしなければ、自動的に肢体不自由児が通う港養護に行くことになります。しかし距離が遠かった。

北中学校も港養護も体力的に厳しそうということで、(幼かったので、親の意向が大きかったのは仕方ない)
大府養護という選択肢になりました。
しかし、大府養護というのは病弱の子が通う学校です。ほとんどの児童生徒は、隣の病院で暮らしています。
親が交渉して、入学しました。

ここで、地元の大府北中学校に入学していたらどうなっていたのだろう。と思うときがたまにあります。
大府養護は、さきほども書いたように長期療養が必要な病弱児が、入院している隣接する病院から通学してくる学校です。
なので、見た目はいたって普通です。たまに、発作で倒れて大変なことになっている生徒を廊下で見かけたりしましたが。
このときの友達とは今でもよく会います。このブログにも書いていたりします。
大府養護では、「養護訓練(通称;養訓)」という時間がありました。
障害の程度別にグループ分けしていろいろとやるんですが、
これはあまり好きではありませんでした。
太鼓を叩くとか、息を吹いてピンポン玉を動かすとか、リハビリ的なことをやるとか、僕にとっては疲れるだけでした。
また小学校のときのように、いい意味での特別視をされなかったので、
いろいろと体力を消耗した面もあるにはあるかもしれません。

大府養護学校(中学部・院内訪問授業)
中学1年の冬から、体調がおかしくなりました。
気管切開。そして、長期の入退院を繰り返すことになります。
病室に、大府養護の訪問学級担当の先生がきてくれて週3回授業を受けました。
結構、ユニークな先生が多く、テーブルゲームとか楽しいこともよくやりました。

半田養護学校(中学部・在宅訪問授業)
中学3年の頃より、夜間〜午前中だけ人工呼吸器を使うようになってから、
一気に体調が安定しました。
自宅で過ごせるようになります。
大府養護では、院内での訪問授業は可能ですが、自宅では制度上、不可になっています。
よって、半田養護学校に転校になりました。
半田養護学校は、主に知的・発達障害がある児童生徒が通う学校です。
よって、訪問授業の先生たちは、教科書を使った一般的な科目の授業を長年やっておられなかったので、
お互い非常に苦労しました。
今では普通に話せますが、当時の自分は先生に対してキレまくっていました。
つらくて泣いてもいました。月に1回、訪問授業を受けている生徒たちが集まる集団学習というのは何のメリットも感じられなかったので行きたくなかったし、
先生一人ひとりは懸命に努力しておられましたが、全体としてみれば一番合わなかった学校です。

半田養護学校(高等部)
中学3年のこともあって、動きました。
両親が県の教育委員会に出向いたり、学校と話を持ってくれたりしました。
科目授業経験のある先生にしてくれ。と頼みました。
当時、半田養護には、大府養護に通学していたときにお世話になった先生が転任してきていたので、
その先生がいるじゃないか。と言った記憶があります。
高校1年から、先生が刷新され授業スタイルが「まともに」なりました。

日本福祉大学通信教育部
放送大学と天秤にかけていましたが、勉強だけでなく、
学生間の交流がしやすそうだったので、日福を選びました。正解でした。
実際に学校に行って講義を受けるスクーリングを受講しなくてはいけなかったのですが、
僕の場合は、1日中外出しているのは困難でした。
学校側は、スクーリングをビデオ収録したものを郵送してくれて、それを視聴。
その後、教授が自宅訪問。少しの間のマンツーマン授業。これは、めちゃくちゃ緊張しました。
そして後日、レポート提出という流れでした。
入学したときの計画通り、6年で卒業できたのは、うれしかったです。稀にみる成功パターンでした。
また、高校のときの先生が、毎年の春に来てくれて(ボランティアのようなもの)1年の進捗状況の確認と履修登録を手伝ってくれたということは忘れてはいけないことだと思います。

卒業にあたってのご挨拶 : 春田 康吏 公式ブログ

まとめ〜以上のことを経験してきて思ったこと〜
大府養護学校(中学部・院内訪問授業)から半田養護学校(高等部)までは、
そういう環境もあってか新しい友達というものがいませんでした。
なので、インターネット上での同世代の人との交流が、すごく楽しかった思い出があります。

どんな障害にせよ、とりあえずは「養護学校以外」
つまり、地元の公立小学校なり中学校なりに通うことができるのなら、
通ってみることを強くおすすめしたいと思います。
それには、教育委員会なり学校なりの協力が不可欠。
話し合いを持たれるといいと思います。

最近は、インクルーシブ教育、インクルージョン教育(すみません。英語知らないので違いはまだ調べてません)なんて言葉が言われていますが、
そんな言葉は無かった時代の話です。あったかもしれないけど知らなかった。

養護学校と言うのは、いろんな意味で特殊だと思います。
僕は、はっきり言って自分に合っているとは思いませんでした。
もちろん、先生一人一人に対しては素晴らしい人がいるし、
今でも交流がある先生や友達はいます。

ただ、現在の学校制度から考えて、障害によっては、養護学校の方が合うという場合もあります。
そこは、当事者の生徒や子どもさんの状況をよく見て判断された方がいいかと思います。
インクルーシブ教育は、なんでもかんでも普通学校に入れるということではないようです。

僕は、普通小学校も養護学校(さらに、訪問教育!)も大学の通信教育部も経験しました。
そんな人も日本全国になかなかいないでしょう。
だからこそ、お話できるものはあるかと思います。

以上、固有名詞を出したので関係者の方々には迷惑なこともあるかと思いますが、
参考になる人もあると思うので、寛大な心でお願いしたいと思っています。
また、間違っている部分、今では変わった部分もあるかもしれません。
その都度、ご指摘願いたいです。

今時の養護学校って、どういう雰囲気で、社会へ出てゆくためにどんなことを教えているのでしょう? 友達同士どんなおしゃべりをして、先生と生徒はどんなつきあい方をしているのでしょうか?

人間として当たり前の成長の過程を、大人になるための通過儀礼を経ないまま社会に出てゆく。そしてそれが体に障害をもつゆえに歪められているのだとしたら、それはそれで養護学校、もしくは障害児教育の問題点ではないでしょううか...?http://atarimae.jp/blog/001/2011/06/post-119.html

今どきの養護学校の現状は知りませんが、
僕は常々、極論を言えば、だから肢体不自由児の養護学校は止めろ。と言っている。
そもそも養護学校の先生って、変な人、多いんですよ。
あ、このブログを読んでおられる先生方は、きっとまともで優秀だと思います。(←よいしょ)
それプラス同級生の障害児が数人しかいないわけだから、社会性も育たないだろうし。

でもまぁ別に、学校で「大人になるための通過儀礼」を踏まなくてもいいんじゃないでしょうか。
若ければ若いほどいいのかもしれないけど、生きてりゃ、多かれ少なかれ早かれ遅かれ、いずれどこかで、
いろんな場面で遭遇すると思います。おいらみたいに。

■「あいさつ」が生む自信と高評価
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分かり切ったようなことを言うようだけれど、
特別支援学校の生徒が素敵な進路に進むことができるかどうか、生徒自身に合った場所に行けるかどうかは、先生の力や能力が、ほとんどです。

よって、いい先生に出会わないといけないのです。

よき先生は、そんなことない。と言うかもしれませんが、
あの先生にかかわった人は、うまくいってる。というような話も聞いたことがあります。

普通学校だと、それほど先生の影響力はないのかもしれませんが、
特別支援学校だと、先生の影響力って高いと思います。

一方で、先生というのは、一般社会とは少し違う世界にいるためか、
変人が多いとも思っています。
なんともしれん先生というのは、います。

しかし、やはり先生というのは、聖職ですし、そうあるべきでしょう。

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私は、障害者福祉に対して皆さんほど強い思いは無いと思う。

これ書くと怒られるかもしれないけど、



福祉世界の人たちはよく、

何が何でも、地域で暮らす。とか、

共に生きるとかいうことを口酸っぱくしておっしゃる。

それはそれで分かるんだけど、何だかなと思う。



性格によっては、一人の方がいい。という人がいるからだ。

私がそうだと言っているのではない。



こちらの勘違いかもしれないが、

たまに家族と暮らしてるとか言うと、何やってんだ的眼差しで見られることもある。

また、親の会や障害当事者の会に属していない人に対して、

奇異の目で見ている人とかもいる。

私なんかは、別に入っても入らなくてもどっちでもいいじゃんって思うけど、

入っていないと奇異な目で見られていることもある。

これは、私のことではない。



めざしたいのは、「先見福祉」http://www.nfu.ne.jp/open/summary/index.html

通信教育部っ子なので、これになります。

先の見える福祉。

福祉の世界だけに閉じこもっていないで、経済や経営、その他のいろんな世界の考え方や方法を取り入れていこうよ。という考え方です。



福祉の世界とは縁が切れないだろうけど、その世界だけにどっぷり浸かるというのは、危険だと思っています。



でも、こういうこと言うと、社会福祉学部の人に怒られそうな気がするんだよな。

まあ学校教育を終えた自分が、ああでもないこうでもない言うのもどうかとは思いますが、

やっぱり、特別支援学校の存在意義みたいなのは気になるわけで。



一つ一つ、ちくちくコメントしていきます。

町教委は一方で、地裁決定を不服として1日付で即時抗告。堀光博・同町教育長は「裁判所の決定を真摯(しんし)に受け止め、正式入学を決めた。ただ、決定には当方の意図が取り上げられておらず、抗告した」と話している。車いす少女あす入学 奈良・下市町が本人らと合意(産経新聞) - Yahoo!ニュース


詳しい情報が分からないので、うかつなことも言えません。



なぜ町教委は抗告するのかよく分かりませんが、建物上の問題だけなら、

少女側は家族も含めて、織り込み済みだと思うんですよね。

そうでなかったら、ちょっと……です。

その建物上の問題をクリアするために、町と話し合っていけばいいと思うのですが。

このときは、親が介護するとか。

ここは、スロープを設置してほしいとか。

livedoor ニュース - 車いす少女入学拒否に、「元町民」からの声



そんな折、考えさせられるエントリーが。

普通学校へ進学させた親を怨みます。脳性まひの男性:Birth of Blues



何と言うか、こういうのって、もうほぼ100%親の意向ですね。

小学6年の僕も、普通中学に行くのか養護学校に行くのか、

子どもながら正直、どちらがいいのか分かりませんでした。



何度もどちらに行くのか聞かれたし、両校に見学に行ったし、6年のときの担任からは、優しく養護学校でいいの?的なことも聞かれたけど、



はっきり言って、どちらに行けばいいのか分からなかった。



悩んで悩んで、結局は親の意向を子どもながらに選んだように記憶している。



このエントリーを読んで、普通学校入学という枠組みにとらわれずに、

養護学校をすすめた、うちの親というのはえらいのかも?しれない。と少し思った。



297 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/04(土) 00:14:47 ID:SHsXUfXN0



この母親、スロープを、車椅子前向きで下ったってな。

車椅子の扱いを全然知らないのか…びっくりした。



319 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/07/04(土) 00:19:30ID:9Ruq+cm00



>>297



12年間この子の親だったんだよね・・・ 今までなにやっていたんだろ?


スロープを後ろ向きで下るなんて、はっきり言って、

介護職の人のマニュアルというか考え方だと思う。どの程度のスロープか分からないけど、子どもの身体状況を一番よく知っているのは親だから、それだけではさほど問題ではないと思う。



結局、どちらか一方の考えに取りつかれるというのは、

よくないことだと思う。

その時の状況や環境を相当吟味すべきだと思う。



意外と、僕のような普通学校も養護学校も行ってましたよ。っていう人は少ないなって思っている。

こういうどちらも知っていることに、ちょっとした「強み」があるんじゃないかと最近思っている。

訪問授業も受けたし。

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