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Tag:ボランティア

2012年にも行いました。こちらです。




ひいらぎ養護学校で、医療的ケア(たんの吸引)を受ける当事者として、お話をしてきました。
恩師からの依頼で、日にちが迫っていたので、学校の公式研修にはならなかったものの、
参加希望の教員と看護師、約10名の前で、原稿を代読してもらいました。

正直、聴く人の心に届いたかどうかは微妙でしたが、
自分にとって初めてのことで、いい経験ができたように思います。

参加者には、「今日お話したこと」という、まとめの資料、
友人からもらったメールの医療的ケアの部分の全文を提出しました。

以下に原稿載せちゃいます。

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こんにちは。大府市から来ました春田 康吏です。
今日は、医療的ケア、たんの吸引をしてもらっている立場からのお話をしたいと思います。

息が続かないので、代読してもらいます。

私は、中学1年のとき、気管切開をしました。
そして、中学3年の頃から、夜から午前中にかけて、人工呼吸器を使っています。
体が、疲れたときなども、自分の判断で使っています。
その頃から、多くの人に、たんの吸引をしてもらってきました。

医師、看護師、家族、理学療法士、マッサージ師、知り合い、友達、ボランティア、
ヘルパーと、数えきれないくらいになりました。
ここにいる榎本先生も、そのうちの一人です。

たんの吸引と言っても、日常生活を送る上での、たんの吸引です。
さきほど、医師、看護師と言いましたが、
病院で、医師や看護師がおこなう、医療ばりばりの吸引、
治療的な意味がある、たんの吸引とは、少し違います。
例えば、肺炎になって入院したとき、肺炎になると、なかなか、たんが上がってきません。
そうなると、カテーテルを、かなり奥まで入れる必要があります。
生活場面での、たんの吸引は、そこまでする必要はありません。

ふつうの介助や支援と同じように、ひとりひとり、違うと思います。
とりあえず奥まで突っ込んで、引けてても何でも、少し引っ込めたところで吸う方がいいという人もいますし、
少しずつ奥へ入れていく方がいいという人もいるかもしれませんし、正解は無いように思います。
医療的な吸引でさえ、昔と今とでは、微妙に、やり方が違ってきています。

何が言いたいのかと言うと、医療的ケア、たんの吸引は、個別性に対応する必要があると、
私は考えています。
オーダーメイドがいいと思います。

今日、お話することも、あくまで、私が思っていること、感じていることです。
事前に、いくつか話してほしいことや質問をもらいました。
大きく分けて、3つです。
それに、答えていこうと思います。
まず、一つ目です。
これまでの経験で受けた、最上(さいじょう)の支援は、どんな人の、どんな支援だったのか。

これは、むずかしいです。
むずかしいので、まず、私が考える、理想の支援やケアは、なにかというところから話してみます。
たんの吸引ということで言えば、短時間で、たんがスッキリとれる。ということです。
たんがとれるということは、呼吸が、しやすくなるということです。
それを、理想とします。

では、どうすれば、その理想に近づけるのか。
介助者目線から言えば、多くの経験と思いです。
とにかく数をこなすことと、どうすればスッキリとれるか。
それを考えていくことです。
数をこなすというのは、一人の人に対してです。

以上のことから、最初の質問に戻ります。
最上の支援は、どんな人の、どんな支援だったのか。

今までで、一番多くの、たんの吸引をしている人は誰でしょうか。
それは、家族、しいては、母親ということになります。


二つ目に、いきます。
最悪な支援についても、話してほしいということでした。
どこどこの誰。ということは、今までは、ありません。
私にとって、最悪な状態というのは、たんが詰まって、息ができなくなる。ということです。
しかし、そうなったからといって、いちがいには、支援が悪いということは言えません。
さきほど申し上げた、多くの経験が必要だからです。
最悪な状態にならないようにするために、注意しておくべきことは、いくつかあります。
単純に、一般的な吸引の方法の学習をする、
家族や病院、自治体の担当者と連携をとっておく。
日々、変わっていく情報や、たんの吸引を受ける人の状態は把握しておく。
これは言うまでもないことです。

大事なのは、いつもとは違う。
いつもとは、なにかが違う。ということに気がつく。
これが、大事だと思っています。
具体的には、医療的ケアを受ける、本人の顔色だったり、様子だったり。
また、たんの吸引器、機械自体が故障している、
たとえ故障していなくても、
なにかの加減(かげん)で、設定が変わってしまった。ということも起こってきます。

消毒のために、消毒液を吸ったとき、なんか、いつもとは吸い方が違う。
吸い方が、いつもより弱い。
こういうことは、頻繁(ひんぱん)には起こりませんが、
いつもとは違う、それに気がつくということが、大切になってきます。

気がつかなければ、なかなか、たんは、いつものように取れず、おかしい状態が続きます。
そういうときは、本人にばかり、目がいくでしょう。


三つ目です。友達から聞いたこれは!という支援やケアについても教えてほしいとのことでした。
気管切開していて、お話ができる人というのは、なかなかいません。
しかし、インターネット上で、やりとりしている人は、何人かいます。
仲の良い人、二人にメールをしてみました。
一人は、愛知県江南(こうなん)市に住んでいる人です。
この方は、自分自身で、たんの吸引をおこなっている人です。
引用します。
看護師さんは、医療の知識もあり、経験もある。
でも、私に対してのケアは、私だけのやり方があり、必ずしも知識や経験に基づくものだけではないと思うので、利用者(患者)の「こうしたら気持ちいい」、「こうしたら体が楽」などの意見を聞いて、その人、その人に合ったケアを、相談しながら一緒に築き上げていってほしい。
とのことでした。
余談ですが、今度、会って、オフ会をしようかと話をしているところです。


二人目の方は、福岡県北九州市に住んでいる人です。
引用します。
吸引で一番大事なことは、
人(生徒)それぞれ感度が違うってことを心にとめててもらいたいです。
まずは、生徒が普段慣れてる吸引の仕方を覚えること。
自分流にアレンジしないこと。
見て、見て、見て、やって、の長い時間が必要だと思いました。
とのことでした。

二人の方は、まだ他にも書いてくれましたが、ここで、気がついたことがあります。
それは、始めに、私が申し上げたこと、二人が書いてくれたこと、同じだということです。
私は、始めに、医療的ケア、たんの吸引は、個別性に対応する必要があると申し上げました。
江南市の方は、意見を聞いて、その人、その人に合ったケアを、相談しながら一緒に築き上げていってほしい。と言ってくれました。
北九州市の方は、 まずは、生徒が普段慣れてる吸引の仕方を覚えること。自分流にアレンジしないこと。と言ってくれました。

全く、相談もしていなく、同じような意見が出てくるというのは、自分でも驚きでした。

まとめに、入ります。
医療的ケアを、ヘルパーさんや、学校の先生がするというのは、まだ始まったばかりです。
始まってもいないかもしれません。
制度も、あいまいでしょう。
しかし、これから、医療的ケアを必要とする人は、増えていくでしょう。
みなさんに、お願いしたいのは、ぜひ、制度が充実していくのを、待つだけでなく、
みんなが暮らしやすいように、自分たちで法律を作っていく。
それくらいの意識を持ってほしいなと思っています。
医療的ケアを受ける私たちが、快適に、生活の幅を広げることができるようになることを期待しています。
ご清聴、ありがとうございました。
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最初の質問で、母親と答えたのはマザコンとかそういうことではないと思います。
理想は、ヘルパーなんだよね。

母親の吸引は、ヘルパーさんが言うには、神ワザ。
とても真似できない。って言われます。。。僕が指示するんだけど、
そんなお母さんのようには、ちょっとできないよ。。。って言われます。

将来的な理想は、母のような人を今後のためにも育てたい。
専属ヘルパーを雇うか、生涯のパートナー(性格重視なのでたんの吸引できなくてもOKだけど)を見つけたい。

終わったあとに、ヘルパーさんや恩師と少し雑談をしました。
ヘルパーさんにいろいろ介助の指示を出してるのを見て、大人になったとか言われました。あんまりそういう意識は無かったのですが。

まあ備忘録や参考程度に。

余暇として、点字を打つことに挑戦してみました。

道具を持っていないので、借りるところから始めないといけません。
買うじゃなくて、借りる。 すみません。

知人が、視覚障害の方もいるボランティアをやっていると聞いていたので、道具を持っていないか聞いてみました。

簡易的なものならあるとのこと。

これで解決かと思いきや、
とてもコンパクトで、おもちゃみたいなものでした。
物自体はいいと思うのですが、僕の手や力では小さすぎて押しにくかったです。

やっぱ、無理かな。と思い始めていたのですが、
こういうときは、社協に聞いてみようと思いつきました。

駄目もとで、大府市社会福祉協議会に事情を書いてメール。

そしたら、点訳グループの代表の方に連絡して下さり、道具を工夫して作ってくれたとのこと。
しかも、社協の人と代表の方が訪問して下さることに!

日常的に打つわけでもないのに、なんか、すみません。という感じでしたが、いいよ〜とのこと。

点字歴40年のすごい人と、社協の人に会って、
いろいろ試してみました。

点ぴつ?のグリップを大きくしてもらったのを使ったら、
ざくっ、ざくっと普通の便せんに打てました。

ちゃんと浮き出てるか心配だったけど、一通り打って引っくり返してみたら、
しっかり出てました。

点字の手紙というのは、一文字、一文字しっかり打たないといけないので、
疲れるし、だらだらとは書けません。
メッセージのような、ちょうどツイッターで投稿するような文章作成でした。

こんなのを触るだけで読めるのかなぁ。って、半信半疑でしたが、
手紙を送ってみたら、読めるとのことでした。


ちなみに、ハガキは堅すぎて断念しました。
印をつけて、誰か別の人に打ってもらおうかとも思いましたが、
印も上手くつかなかったので止めました。

まぁ、ここまでやれば上出来でしょう。
いい経験ができました。
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表題のとおりです。
まあボランティアなので、辞任も卒業も無いと思いますが、
そろそろいいのかな。と思い、卒業を申し出て受理されました。

2005年の工事前から見てきたので、いろいろと思うことはあるのですが、
いい夢を見させてもらったような気がします。

楽しかったです。

とよいち自体は、まだまだ続きます。
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いきなりですが、自分の主のメールソフトは、Gmailです。
そこには、ラベル分け機能(フォルダのようなもの)というのがあるのですが、
去年は、「とよいちで「ぼくうみ」を上映する会」の青ラベルで、受信箱が占領されていました。
最近は、ぽつぽつと減って、無くなりつつあります。
別に、さみしくなんかないもん!
それで今、関連するメール数を確認してみたところ、430通と出ました……。
僕にしては、びっくり数字なんですけど、ビジネスパーソンとしては、
あまっちょろいんでしょうか。
無題

さて、本題です。
今年の目標とか抱負とか、あまり決めないのですが、
思うことがあります。

それは、
「活動を、自分+相手レベルに戻す」です。
具体的なことは、
「移動手段の確保と増強、いかにして外出回数を増やせるか。」です。

前者から、いきます。
上映会は、「自分+数十名レベル」の活動でした。
これは別に悪いことではありません。
僕自身が、そうしたかったので意識的にそうしてきたわけですが、
そうなってくると自分だけのこと・自分だけの楽しみは、
後回し、二の次でした。
直接のやりとりも、物理的に全員とは出来なかったので、
関係性は濃くみえて、薄かったかな。と振り返っています。

次は、何をするの?とか、たまに言われるのですが、
ちょっと、「自分と相手だけ」とか、活動にかかる人数や範囲を少なくしようと思います。
人が多くいたとしても、自分は運営側ではなく、参加者でありたい。
それにより、逆に、関係性が濃くなるかな。と。
あくまでも予想ですが。。。

ただ、基本の関係性は、
いつのときでも、Win-Winの関係でありたいです。

一方的に、何かをされる。施しを受ける。ボランティアをされる。というのは、
昔から好きではありません。
こちらからも、何らかの形で提供するというか、
完全な50:50にすることなんて出来ないかもしれませんが、
100:0とかは避けたいです。

常に、Win-Winの関係で。

具体的なことが書いていない。
まだ煮詰まっていないので、
具体的なことは次回にしようと思います。
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まだ完全には終わっていないので、乗り越えたことにはなっていないかもしれませんが、

明らかに、



とよいちで「ぼくうみ」を上映する会http://trhs.cc/1041bokuumi/



ですね。

ネガティブな意見を言いますと、

疲れました。気疲れです。

今までイベントの運営側、ちょっとした会の幹事すらしたことありませんでした。



皆さんのご協力のおかげというのは大前提です。

これは紛れもない事実です。



運営側でしたので、とにかく私情を出来るだけ排除して、

とにかく理念http://trhs.cc/1041bokuumi/cinema/index.htmlに沿う行動、上映会が成功するのみ一点に集中、

自分だけの感情は出さないようにしてきました。



私情を出さないようにしていくというのは、なかなか厳しいものです。



だからと言って、始めから嫌々やっていたとかそういうことでもないです。

偽善と言われるかもしれませんが、大きなボランティア行動、利他的な行いをしてみたかったのです。





昨日、ここにも書きましたが、最後の最後に残念なことがあり、

腹は立っています。

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http://www.nhk.or.jp/dodra/challenged/

予告編を見て、観るのやめようかななんて思っていたんですけど、

観ちゃいました。



個人的感想として、もともと「チャレンジド」という言葉自体、

どうもしっくりこない感があるのですが、



ドラマに関して特に驚きや新鮮味は今のところ無いです。

役者陣の舞台のような台詞の言い回し、キャラクター付けのはっきりさがどうも・・・・という気がしますが。



第1話の、はっきりとやってほしいこと、手伝ってほしいことを周りに伝えないといけないというようなことは、

もうずっとそうだ。と思っています。

その癖がついてきたのか最近では、母親に対しても言ってしまい、

「私に指示するな」と軽く怒られます。

母親とそれ以外の人とは区別しなくてはいけないようです。



第2話の、ボランティアに頼む展開は早すぎるというか、

現実問題、あんなに訳も無くすぐには見つかりません。

それに、あの学生ボランティアの、

「困っている人がいたら助けるのが当たり前じゃないですか」というようなセリフは、何かしっくりきませんでした。

そうじゃないと思うんですよ。

ボランティアって。



http://ameblo.jp/aikouen-kuwayama/entry-10368790991.html



でもここまできたら、たぶん最後まで観るでしょう。

メーリングリストにも流したのですが、そろそろチケットの値段を正式決定しようかなと思います。

ぼくうみ製作実行委員会の意向もあると思うので、

企画・原作・脚本の山下さんに勝手に決めていいか問い合わせました。



そうしたところ、製作者に敬意を表すためにも、無料は止めて下さい。とのことでした。



製作実行委員会からの通達は基本的に従うつもりです。

子どもは無料でいいんじゃないか。という案が出ましたが、それは無しの方向でいきたいと思います。

それで、私が考えたのは、



通常 1000円 小中学生以下 500円



これでいこうかな。と思っています。

作品貸出費用 5万円を考えると、そんなに安くは出来ないかな。と思っています。

赤字分は、まあ私が個人的に出してもいいかなと思っています。限度はありますが。

利益が出た場合は、関係者と相談の上、

上映会場の「とよいち」もしくは、ぼくはうみがみたくなりました製作実行委員会に寄付することにします。このことは、改めてどこかに明記します。



ボランティアして下さる学生のための(学生さんはお金にシビアらしい)通常より安くなるボランティアチケットですが、

学生さんの金銭感覚がまだよく分からないので、連絡が取れ次第、聞いてみようかなと思いましたが、

残念なことに、まだ連絡が取れないので、保留か廃止の方向でいこうかな。と思います。



先週の12日に、お手紙を渡してもらって、お話もしてもらったとの報告を受けているのですが、

こういうのは、クロージング(締め切り)を設定した方が良かったかな。と反省しています。

刻一刻と状況が変わるというか、待っていると止まってしまうので。

冷たいやり方かもしれませんが、何もアクションが無いと手の打ちようがありません。

無理なら無理で、他の方法を考えますし。



あと世の中には、障害者割引、シニア割引、50歳以上の夫婦割引などありますが、

訳分からなくなるので止めようかなと思います。

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最近、言い出しっぺが率先して企画及び運営をやることの重要性について思っている。

僕は、2006年頃からとよいちというところで微力ながらボランティアをさせてもらっている。

微力なのであまり、でしゃばりたくはないけど、いろんなアイデアが思いついたので提案してみたりする。

僕は、その提案した案というのは、その場で代表者なり他のメンバーなりが、いいかどうか判断して、



・却下→ボツ

・採用→代表者か他のメンバーが中心となって実行する



このどちらかの経緯を辿ると思っていた。

しかし必ず、



「じゃあ、はるた君がやって」と言われる。

上の2点のうちのどちらかの経緯を必ず辿ると思っていたので、

最初はすごく面食らった。



だけど、これは正しいと今は思う。

障がいがあって身体は動けないけど、頭は動くので、

自分のやる気と他のメンバーの賛成と協力さえあれば、企画運営は可能なのだ。

僕自身、まだ実際には何かの企画運営には至っていないのが事実だけど。



会社にしても、何らかのグループにしても、

言い出しっぺがやることって大切なんじゃないかと思う。

社長なり代表者なりは、あらゆるリスクのことだけを考えて、

「じゃ、やってみれば」という姿勢がいいかと思う。



アイデアに対して、すぐ却下。却下。却下ということが続けば、

もう何のアイデアも出てこないだろう。

人は口を閉ざすからだ。

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「人の為になる」とか「人のためになりたい」とか「世の為、人の為」とかいう言葉があります。



一見すると良い言葉のように聞こえますが、

人偏に為と書くと、

「偽」になります。



つまり、人の為と思ってすることは、「偽者(偽)」と考えます。



ボランティアをするときも同様。

ボランティアっていいことですから、どこかで人に感謝されたい。

「ありがとう」って言われたいっていう思いが出てくるときがあります。



しかし、もし、相手から何も返ってこなかったら。。。

がっかりします。

せっかく、人の為になると思ってしたのに……



人の為と思ったとき、それは「偽」になるでしょう。



じゃあ、どうすればいいか。

自分の為と思ってすればいいそうです。



ボランティアさせてもらう対象があることに感謝する。



僕は身体が不自由ですから、ボランティアをする。ということの内容が限られてくるのですが、

ボランティアさせてもらう対象があれば、感謝して自分の為と思って、出来ればいいなと思います。



難しいことですけど。



【参考図書】

生きるヒント〈3〉傷ついた心を癒すための12章 (角川文庫)「尽す」の項より

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