春田康吏アーカイブス

在宅勤務をしている医療的ケアが必要な重度身体障害者のブログです。

Tag:人間関係

数年前に、知人男性から言われたことが心に引っかかっているのですが、
「家庭を持っちゃうと、家庭と仕事の往復で友達とかはいらなくなる」という話。

その人曰く、独身時代は友達付き合いを大切にしていたけれど、結婚して子どもができるともう友達とかいらないかな。と思うようになった。と。

そうなのか。と納得する反面、少しショックでした。

それで結論としては、
「昔の友達がどうしてもピンチになって手助けが必要になったときだけ連絡してほしいと。まぁ、普段の付き合いをしていない状態で、ピンチになっても連絡してくれないだろうけどね」
と言っていました。

この年になると、いわゆる結婚適齢期というやつで、自分の家庭を持っていく友人が多くなってきます。
表面では祝福しますが、ほとんどの場合、あまり良く思っていません。ひどいでしょうけど、孤独感を感じます。

少し前になりますが、ある出来事がありました。
夫婦で友達という人が何人かいます。
その中の一組と、あるイベントがあって、3人で一緒に楽しもうという約束(僕はそう思っていました)をしていました。
来れるかどうか分からないというふうで、来れる場合は連絡するということ(僕はそう思っていました)だったので、待っていたけど連絡がなかったので、まあ来ないものと思ってました。

それで行ったらいました。
それはそれでいいんですが、友達夫婦は二人で先に楽しんでいて、僕が行っても挨拶程度で会話に入り込めるような雰囲気ではありませんでした。屋外だったり、人が多くいる場所だと、声が小さいので、なかなか向こうが聞いてくれる感じでないとコミュニケーションがとれません。
最近では、それも突破するような勇気が持てるようになりつつあるのですが、正直、夫婦で楽しんでいるところを邪魔しちゃ悪いなという思いが先行して、ぼっちでした。
そしたら、その夫婦の片方の親も来たりして、とても僕が中に入ってコミュニケーションできるような状況ではなくなっていきました。家族水入らずというか。
やはり、結婚するということ、夫婦とは「家」なんだなと思いました。
すぐ隣で家族の輪で楽しんでて、僕は一人ぼっちという、あぁ・・・と思いました。
いい人たちなので、こちらから働きかければいれてくれるのだろうとは思いますが、邪魔しちゃいけないという思いがどんどん膨らんでいき無理でした。

もちろん友達夫婦の中には、こちらに気を使ってくれて、そういうことにならない人もいます。
でも彼らはそうではありませんでした。
彼らに他意は無く、今までの付き合いからしてそうなるということは想定内でしたが、
家に帰ってきて、孤独感があまりにも大きくなり過ぎてお腹と頭が痛くなりました。

それって本当に友達なのか。って感じですが、彼ら曰く、はるた君は友達ということは聞いています・・・。
僕は、その二人とも大好きです。もっと一緒に楽しみたいと思っています。
だから余計につらいんでしょうね。

どんな出会いにしろ、それを時のせいにしてはいけない」「人と人は出会うべき時に、出会うべき人と出会うようになっているのだから...」と。
あまりにもその人との出会いを嘆き悲しんでいたために慰め、励ます意味を込めて言ってくれたのでしょう。
人と人の出会いは、偶然を装った必然なのではないのでしょうか? そこに何らかの意味があるのです。それが誰の意思であるのかは解りません。自分が相手を引き寄せているのかも知れませんし、相手が自分を引き寄せているのかも知れない。おそらく互いが互いの存在を引き寄せあっているのでしょう。東洋思想でいう「因縁」の世界です。
http://atarimae.jp/blog/001/2011/06/post-120.html

あの出会い、この出会いは何だったんだろう。というのは、すごく思っている今日この頃で、
もうなんか、俗にいう「絆」なんて存在しないんじゃないだろうか。
絆なんて幻想。という思いがあったのですが、意味か。

Aという意味とずっと思ってたけど、実はBという意味でした。ということで、
「実はBという意味」というのを受け入れなくちゃ、前に進めないんだと思う。

おかげさまで、困ったときは、人生の大先輩がたくさんいるので聞けば助言してくれる。
こういうのはありがたい。一人だと持たないと思う。

僕は、気管切開をしているので一般的には声が出ません。
でもかろうじて、出ることは出ます。
しかし、すべての人に聞き取りやすい声かというと、そうではなくて。

脳性まひの方の聞き取りにくい状態とは違って、
音量が極めて小さい。
そんな状態です。
そりゃ、上がってくる空気の量が減るわけですからそうなんですけど。

昔から、言葉が伝わらないもどかしさを感じる場面は多々あります。
それによって、まあいいや。とあきらめたり、
別に緊急的なことではないからと、コミュニケーションを断っている側面はあります。

前に比べたら、だいぶん成長はした方だと思いますが、

相手が聴く態度がある人ならいいのですが、
聞く態度のない人、流そうとしてる人は、一気に気持ちが冷めていきます。


話すことが、コミュニケーションの唯一の方法ではありません。
表情であったり、しぐさだったり、そういうのも重要かもしれません。

でももうちょっと、楽しくコミュニケーションがとれたらな。とは思ったりもします。

特に、外に行くと、開放されているので、
室内にいるときより格段に僕の声は、かき消されます。

外や雑踏の中で、室内のときのようにコミュニケーションとれたらなと思っています。

最近、思うのは、会話の相手が視覚に障害のある人だったら、
どうすりゃいいんだ、こりゃ……と思っています。
さっき書いた、表情も、しぐさも、意味がないものになってしまうんじゃないかと・・・・・。
すべては、音。
声ってわけで。


ウィンブル2
http://blogs.yahoo.co.jp/yositako52/32556282.html

ここ数年、PCにしても携帯にしても、僕がメールを送って、
それに対して、返事が返ってくる確率が半端無く低かったのですが、

最近、確率上がってきてね?と思ってます。

特に、なにか改善したわけでもないのですが。

返ってこなくて、相手にされなくて、一番落ち込んでるときや
返ってきても、数行とか、そっけない感じのときは、
もうメールとか信じられなくて、
距離を置いていたのですが。

今はただ、たまたま。

一過性のものかもしれないけど、なんか、相手にされてるってことが、
素直に、うれしい。

長文で書いてくれると、おいらのためにこんなに時間と労力を割いてくれている。。と感謝し、
質問とかくれると、興味持ってくれてるんだ。と感動し、

今までのことがあったので、ちょっと涙もろくなったりもしています。

何年か前に、数少ない友人の一人から、
「はるたくんは、自然にしてれば人に嫌われることはないと思うよ」と言われて、
そっか。そのままでいいんだ。と安心していました。

基本的に、自然体でいることの方が楽なので、その状態がいいのですが、

心のどこかで、自分で自分を演出していかないと、
自分で自分をプロデュースしていかないと、
人から好かれない。という思いが根強く残っています。

それはようするに、
どんな人とでもすぐ打ち解けられる。とか、
場を明るくするとか、
冗談を積極的に言って、みんなを笑わせるとか。

少しでも、そういう振る舞いをしなければいけない、
そうじゃなきゃ、何だあいつ。と思われている。

そういう妄想的とも言える思いが、いつまで経っても消えません。
でもそういうことしようとすると、苦痛なんですよね。
やろうと思えばできるんですが、ものすごく苦痛。
特に、大人数のときは。少人数は、わりかし楽です。

以前、別の人から
「はるたさんって、冗談とか言うんだ」と驚かれたこともあります。
ちょいショックでした。

【問題となったテキスト】
■下にある「クルーザー」という物語を読んでください。この話には、5人の登場人物が出てきます。
読んだ後に、この5人の登場人物について、共感できる順に順位をつけてください。
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「クルーザー」

 突然の嵐に見舞われたクルーザー(大型ヨット)が2艇、無人島の流れ着きました。 1艇には若くてきれいな女性とフィアンセの男性、もう1艇にはヨットマンと老人が乗っていました。 日が暮れて嵐は少しおさまってきましたが、フィアンセの男性が高熱にうなされ、意識不明になってしまいました。

 若い女性は、一生懸命看病しましたが、容態は一向によくなりません。 夜はどんどん深まっていきます。彼を助けるためには、医者のいる島まで連れて行くしかありません。 しかし女性はクルーザーの操縦ができませんでした。そこで彼女はヨットマンに助けを求めにいきました。するとヨットマンは「この島から医者のいる島までは2時間はかかる。それに夜の航海はとても危険で、命がけだ」としばらく考えていましたが、「そうですねえ。あなたを今、抱かせてくれたらクルーザーを出しましょう」と言ってきました。

 思いもよらない言葉に困った女性は、老人にどうしたらいいか相談しました。老人は「今のあなたにとって何が良いのか何が悪いのか、私には答えられません。自分の心に聞いて自分で決めるのがいいでしょう」と返事をしました。 彼女は悩み苦しみましたが、彼を助けるためにヨットマンの言う通りにしました。 夜明けにヨットマンの操縦するクルーザーは無事医者のいる島に着きました。

 3日3晩、男性は生死をさまよいましたが、医者の懸命な看護により、やっと目を覚ましました。若い女性はようやくほっとして彼を抱きしめました。彼女は真実を話すかどうかとても迷いましたが、悩んだ末に正直に全てを打ち明けました。しかしそれを聞いたフィアンセは怒り狂い、「何てことするんだ!お前の顔なんかもう見たくない。出て行け!」と彼女を部屋から追い出しました。

 悲しみにくれた女性は、浜辺に座って波を見つめていました。そこに医者がやって来て彼女に声をかけました。 彼女が事情を話すと、「僕には君の気持ちがよくわかるよ。私が彼と話してみようじゃないか。 彼も病気が治ればきっと理解してくれるはずだよ。それまでしばらくの間、私があなたの世話をしてあげよう。」と言いながら、彼女の肩に手をかけました。

参考:星野欣生(2003)『人間関係づくりトレーニング』金子書房
人間関係づくりトレーニング

星野 欣生 金子書房 2002-12
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東京ポッド許可局 : 【第28回“クルーザー”論】
※これは心理テストの類ではありません。正解もありません。

酒の肴に、こういうこと話すのは割合好き。
僕は、結論から言って、誰も共感できる人がいない。

(以下、許可局員の意見も取り入れました)

若くてきれいな女性・・・フィアンセを助けるための行動は仕方ないが、おしゃべり。

フィアンセ・・・命を助けてもらったのだから、怒っちゃ駄目。

ヨットマン・・・緊急事態のときに、ヤラせてくれというところが共感できない。

老人・・・年配者なら、ヨットマンを叱ってみてもいいと思う。

医者・・・怪しい。ざわっとしたものを感じる。ただの優しい人だけなのかもしれないけど。

順位は難しいなぁ。

結局のところ、僕の器の問題なのかもしれない。

自分がストレスに感じたことって、自分は頭の中がぐるぐるしてるけど、

他人は頭がクリアなので冷静な判断ができる。



なので、数人から意見を聞いて、冷静な判断が圧倒的なら、

僕は間違っているということ、器が小さいということになるのだろう。



まだ認めたくないけど、そういうことなのだろう。



せっかく、いい気持ちで終われたと思っていたのに、悲しくて残念で仕方ない。



執着が強すぎるといかんのかな。



人間の器量 (新潮新書)

心配性タイプ

・安心できる領域を少しずつ広げていく



・「目標」とそれを実現する「手段」を切り離して考える



・適切な「手段」が見つからないときは、「目標」を細かく分解



・○○はできないかもしれないが、△△ならできると思う





人との付き合い

・縁があるかないかに尽きる



・楽しいから付き合う、楽しくなければ付き合わない

・ときには人間関係の損切りを行なう

仕方のないことをつぶやいても意味ないと思うんですけど、

まあ愚痴として。



前々から薄々思っていたことなんだけど、やっぱり、

私の自宅(大府市)ととよいち(美浜町)の距離感を感じるのです。

知多半島道路を普通に使って40分くらいなんですけど、

往復するのに、まあ1時間20分かかるわけでして。



距離感を感じるわけです。

物理的距離もさることながら精神的距離も。

とよいちのHPで楽しそうな様子とか見ると、たまにですけど鬱々とした気分になります。



これが同じ大府とか、まあ最低でもお隣の市とか、

送り迎えが出来る距離だったら、痰の吸引者だけ確保しておけば家族とかにも頼めそうな雰囲気なんですけど美浜じゃちょっと遠いから送り迎えは無理。

僕自身の体力的問題もありますし。



とよいちは、近ければ、もっと行きたい場所なので、

たまに、自分は活動場所を間違えてるんじゃないかと思うわけです。



ないものねだりしても仕方ないけど、

あー、これが大府だったらなぁ。って思うのです。



地元信仰とかあんまり好きじゃないけど、

楽しいことするなら、仲間作るなら、やっぱ大府がいいと思うのです。



でも、美浜町は魅力的なのです。

あんな何もないところと言ったら失礼だけど、

日福に在籍していたこともあったりして、心が美浜町に行っちゃってる。

NPO法人チャレンジドさんの人とかも知り合うと、もう駄目っすね。



もっと美浜町みたいな楽しいことを、大府市でできないかな。って思うんです。

人がどんどんつながっていくっていうか。



やっぱ、日福がでかいのかな。

安楽志向型

・いつでも楽をしたい

・好きなようにさせてあげるのが一番



王様型

・どんなときも偉い人物でいたい

・カリスマ

・「あんたが大将」と持ち上げておけば、たいていの場合、機嫌がいい



気くばり型

・いつでも人によく思われたい

・場を盛り上げる接待役

・NOと言えない



主導権型

・自分の思い通りに何でもしたい

・陰のドンに徹することに満足できる

・命令はもちろん、指示を出すようなことをしてはならない

・「私はいつでも味方です」とメッセージを送り続ける

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