春田康吏の資料室

ある重度身体障害者の記録と各種資料

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<まえがき>

2019年12月18日、千葉県の幕張メッセで、アイドルグループ・日向坂46のワンマンライブ「ひなくり2019」が行なわれていた。クリスマスの時期に合わせた内容のライブで、前日からの2日間で計4万人を動員していたほか、大手配信サービスでの生中継も行なわれていた。

そのライブ終盤、ステージ上でメンバーたちがMCをしていたとき、突然照明が落とされ、モニターに「ひなくり2020開催決定!!」というメッセージが映し出された。あまりにも気の早い発表にメンバーからも笑い声が上がったが、次のメッセージを見て、その声はほとんど悲鳴にも近い叫び声に変わった。

「IN 東京ドーム」

誰も予想さえしていなかった会場名に、ステージ上のメンバーたちは冗談ではなく腰を抜かし、次々と尻もちをついてしまった。まだまだ遠い夢だと思っていた東京ドームが、1年後には自分たちがそこに立つはずの確かな目標になったのだった。

この年の3月にデビューした日向坂46は、1stシングル『キュン』を初週だけで47万枚以上売り上げ、女性アーティストの1stシングル売り上げ記録を大幅に更新。続くシングルも次々とヒットを記録し、特番を含む各局の音楽番組に軒並み出演。年末には『日本レコード大賞』に、新人賞部門ではなく大賞を争う優秀作品賞部門でノミネート。さらに大晦日の『NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、堂々たるパフォーマンスを見せた。

そして今、東京ドームを目指して走っている――。

あまりにも順調な活動に、人は選ばれた者だけが持つスター性を感じるかもしれない。あるいは「どうせ最初から約束されていた成功だろう」と鼻白むかもしれない。

しかし彼女たちがデビューに至るまでに辿ってきた数奇な道のりは、ほとんど知られていない。そもそも"たったひとりのアイドルグループ"というイレギュラーな形でスタートしたこのグループは、活動のなかで何度も大きな危機に直面しながらも、自分たちの夢だけを信じて諦めずに歩んできた。

その過程には数え切れないほどの涙があり、喜びがあり、仲間を思いやる優しさがあった。本書は、そんな知られざるグループの歴史を紐解いたノンフィクションである。

願わくば、彼女たちの「夢を諦めない心」が、次の誰かに受け渡されるように。

<第1話 ひとりぼっちのアイドルグループ>

2015年8月21日。当時ソニー・ミュージックエンタテインメントが所有していたSME乃木坂ビル内で、後に欅坂46としてデビューすることになるメンバーたちの最終オーディションが行なわれようとしていた。

審査直前、候補者たちは写真撮影のため壇上に並ばされた。しかし、"候補者番号17番"のスペースだけが、誰もいないままぽっかりと空いていた。

実は、ここに立つはずだった少女は、最終審査当日になって急遽上京してきた母親に連れられ、すでに長崎へ向かう飛行機の中にいたのだ。

その少女の名前は長濱ねる。

後に「日向坂46」としてデビューするグループが歩んできた、数奇で、濃密なストーリーは、まずは彼女の個人的な事情から始まる。
■衝動的だったオーディション参加

1998年、長崎市内の家庭で生まれた長濱ねる。「ねる」という珍しい名前には、"考えを練る"という意味が込められていた。幼い頃から聡明で本が好きだった彼女は、高校も県内で一、二を争う進学校に進んだ。

昔から勉強することは嫌いではなかった。高校に入ってからも、テスト前には16時間も机に向かうことがあった。ただ、心の中はいつも曇り模様だった。

その頃のことでよく覚えている光景がある。高校1年生の冬のある日、遠回りして家に帰ろうと、いつもは使わない海沿いを走る列車に乗った。長崎の海が夕焼けのオレンジ色に染まっていた。その美しい景色を見ながら大好きな乃木坂46のアルバム『透明な色』を聴いていると、突然、涙がこぼれてきた。自分でも驚いたが、涙はぽろぽろと落ち、止まることがなかった。

この頃、彼女は進路のことで悩んでいた。物心つく前から海外旅行を経験し、地元の国際交流団体に入って活動していた長濱は、将来は空港のグランドスタッフ(地上勤務職員)になりたいという希望を持っていた。そのために高校卒業後は専門学校に進むつもりだったが、学校からは当たり前のように反対され、難関大学への進学を強く推されていた。

「結局、私は決められたレールをはみ出せずに、学校から言われたとおりに進学するんだろうな」

そう思うと、自分の将来もくすんで見えてきた。それに加えて、人間関係を極度に気にする性格だったので、学校の教室の中でも窮屈さを感じていた。そんな心の澱が涙になって、まぶたからあふれ出したのだった。

ちょうどそんなときに、乃木坂46に続く新プロジェクトのメンバー募集が告知された。実は小学生のときにパソコンクラブに所属し、AKB48の動画をひたすら見ていたという長濱は、"AKB48の公式ライバル"として結成された乃木坂46のことを「これは私だけのアイドルなんだ」という気持ちで最初期から応援していた。ただ、アイドルになりたいという気持ちを持っていたわけではないので、乃木坂46の2期生オーディションには応募していない。イヤホンから彼女たちの曲が流れていれば、それだけで幸せだった。

そのはずが、高校に入ってから葛藤の日々を過ごすなかで、衝動的にこの新プロジェクトのオーディションに応募してしまったのだ。そのときは、自分がアイドルになって何をしたいのかもよくわかっていなかった。だから、応募書類の志望動機の欄は空白のまま提出した。
■「S」評価を与えられた少女

オーディションを担当したレコード会社のスタッフは、彼女の応募書類をよく覚えている。まず「ねる」という珍しい名前が気になった。通っている学校は、どうやらかなりの進学校らしい。添付されていた写真を見ても、大きな目元がアイドル性を感じさせる。無数に送られてくる応募書類の中でも、彼女のそれは輝いて見えた。

書類選考を通過し、長濱は福岡で行なわれた2次審査に参加する。その審査員の前では、腕を大きく広げてチャームポイントの"猿腕"を披露し、乃木坂46のメンバーだった伊藤万理華の持ち曲『まりっか'17』を歌った。

「優等生だと思っていたが、明るく、よくしゃべるコで、応募書類の写真よりもかわいい」

この時点で、オーディション担当者は彼女に「S」という評価をつける。Sは"special"の頭文字で、合格水準であるAよりもはるかに上の評価であり、2万人以上が応募したこのときのオーディションでも数人にしか与えられなかったものだった。

この2次審査に合格したという通知を彼女が受け取ったのは、ロンドンに住む叔母の元にホームステイをしていたときだった。実は、その前に長崎の両親にはすでに連絡が入っていたのだが、両親は本人に知らせていなかった。オーディションを受けていることはもう家族も知っていたが、あくまで"記念受験"であり、娘は今までどおり長崎の高校に通い続けるものだと思っていた。振り返れば、この時点で後の"事件"の種になるすれ違いが起こっていたのかもしれない。

ただ、この頃は長濱も「どうせ落ちるだろう」と思っていたので、都内で行なわれた3次審査は東京見物に行くつもりで参加した。しかし、本人の予想に反して3次審査も通過し、次の日に行なわれる最終審査に臨むことになった。

その日の夜は、母親が取っていた飛行機のチケットをキャンセルし、レコード会社が用意したホテルに泊まった。そこで、初めて家族とこの件について真剣に話し合うことになった。

携帯のテレビ電話越しに見る母親の顔には、焦りが浮かんでいた。翌日に予定されていた最終審査に進む候補者は、長濱を含めて46人。「"なんとか46"なんだから、全員受かってしまうんじゃないか」と心配していたのだ。むろん全員が受かるものでもないのだが、万一合格すれば世間に顔と名前が公表される。そうなれば、せっかく猛勉強して入った高校も辞めることになる。

しかし、両親に姉を加えて長い長い時間話し合った結果、家族は「ねるを応援してあげよう」という結論に落ち着いた。

そして翌朝、最終審査に付き添うため、母親が飛行機で上京することになった。
■連れ戻しに来た母に放ったひと言

審査当日の朝、ホテルにいたスタッフからオーディション担当者の元に緊急連絡が入った。

「長濱ねるさんが最終審査を辞退し、お母さんと帰ると言ってます」

驚いた担当者はすぐに母親と連絡を取り、帰途につく前になんとか話し合いの席を設けてもらった。

しかし、長濱にもう一度オーディションを受けてもらうためにもった対話は、寒々しいものに終わった。母親は取りつく島もなく、娘のほうはひと言も発さずにしくしくと泣くばかりだった。もう引き留めるすべがないと悟った担当者は、最後に母娘に向かってこう話した。

「生意気なことを言いますが、これは親子のコミュニケーションの問題だと思います。ねるちゃんもアイドルになりたいんだったら、自分の気持ちをちゃんとお母さんに話したほうがいいと思う。お母さんも娘さんの話をよく聞いた上で、もう一度考えてあげてください」

こうして、"候補者番号17番"のスペースは空白のまま、最終審査が行なわれることになった。

しかしなぜ、前夜の家族会議で「応援する」と言った母親は、娘を連れ戻したのか?

長濱ねるの両親は、ふたりとも長崎の学校に勤める教師で、それまで堅実に3人の子供を育ててきた。だが、娘に厳しかったわけではない。今思い返しても、長濱には両親から「勉強しろ」とか「あれはやっちゃダメ」と言われた記憶がない。今回だって、心配しながらも「応援する」と言ってくれていた。

ただ、"なんとか46"もよくわからない母親にとって、芸能界は依然として未知の世界だった。長崎から羽田空港へ向かう飛行機の中でひとり考えていると、不安がどんどん膨らんできた。東京に着く頃には、なんとしても娘を連れ戻さなければいけないという気持ちになっていた。

母親が応援に来てくれるものとばかり思っていた長濱は、ホテルに着くなり「もう帰ろう」と言った母親に驚かされた。「ここまで来たら最後まで受けたい」と一度だけ言ったが、それまで親にまともに反抗したこともなかった彼女は、このときも結局は母親の判断を受け入れる。

ただ、高校で進路を決められたときのように、また自分が誰かの決めたレールの上を歩くと思うとひたすら悲しかった。あんなに優しかった母親が、有無を言わさず自分の将来の可能性を奪おうとしている状況にも混乱していた。

羽田空港で飛行機を待っているとき、長濱はたったひと言だけ、しかし強い毒を母親に突き刺す。

「お母さん、これで満足した?」
■乃木坂46が両親に与えた衝撃

実家に戻った頃には、涙も枯れていた。表情のない顔でテレビを見ていると、自分が受けるはずだったオーディションの結果がニュースで流れた。笑顔でカメラに向かって手を振る合格者たち。グループ名は、当初告知されていた「鳥居坂46」から「欅坂46」に変更されたという。

「ねるにも最後までチャンスを与えるべきだったんじゃない? 先に危ない芽を摘もうとするよりは、壁にぶち当たったときに助ければいいんじゃない?」

父親にも相談せずに娘を連れ帰ってきた母親に対し、姉が諭すように話をしていた。母親は、黙ってニュースを見ている娘の姿に胸が苦しくなり、「取り返しのつかないことをしてしまった」とパニックになっていた。そんな家族の様子を見た父親は、その日の夜のうちに、娘が最終審査さえ受けなかったこの欅坂46というグループの運営スタッフに電話を入れた。

「妻が娘を連れ戻してしまったんですが、娘の夢をここで断ってしまうことが正しいことなのか、私にはわかりません。父親として何かやれることがないかと思い、ダメ元でお電話しました」

実直に話す父親の言葉は、胸に迫るものがあった。

実はこのとき、不思議な縁が両者を再びつなぐことになる。最終審査の翌日と翌々日に、乃木坂46の全国ツアーの福岡公演が予定されていたのだ。長濱も随分前からチケットを買い、楽しみにしていたライブだった。

そこで運営スタッフは、父、母のふたりもこのライブに招待することにした。

「一度、お母さんも含めて僕たちのライブを見に来てください。そこで、僕たちがつくっているものがどういう世界なのかわかっていただけると思います」

2日後の8月23日夜、長濱家は福岡国際センターで行なわれた乃木坂46 のライブを観覧した。そこで、長濱ねるの運命を変えるものを目撃することになる。

乃木坂46のこの年のツアーでは、各公演で特定のメンバーをフィーチャーしたVTRが流された。そして長濱家が観覧していた回で流れたのが、秋元真夏というメンバーとその父親の物語だった。

秋元の言葉。

「(乃木坂46に合格したとき)お母さんに電話しました。喜んでもらえると思ってかけたんですけど、『え......』って言われて」

秋元は、中学受験で中高一貫の進学校に入学し、高校では生徒会長も務めた優等生である。そんな娘が、高3の時点で乃木坂46のオーディションを受けることに父親は強く反対しており、秋元は合格直後から休業することになった。

その間の父親としての葛藤。そして、大学に合格して乃木坂46に復帰し、今、テレビの中で自分の人生を生きている娘を見て感じたこと――。そんな父親の本心がつづられた手紙が、VTRの中で読み上げられた。

「ずっと言えなかったけど、もう反対はしていない。今は常に、真夏の味方だよ」

そんな言葉で締めくくられた映像を見て、長濱の父親は、自分の心と重なるものを感じた。

「どこの親もこうして心配しながら娘を芸能界に送り出しているんだな」

母親のほうも、コンサートを見るなかで気持ちが変わっていった。あれだけ偏見を持っていたアイドルというものは、実に華やかで、一生懸命に頑張るメンバーたちの姿はかけ値なしにすてきだと思えた。

「こんなにちゃんとしたグループだったんだ。娘もこんなふうに一生懸命になれるものを見つけたんだったら、自分はそれを後押ししてあげるべきなんじゃないか。危険から守ろうとするんじゃなくて、娘のやりたいことを理解してあげるべきなんじゃないか」

コンサート後、両親は運営スタッフに頭を下げて言った。

「今から、オーディションの辞退を取り消していただけないでしょうか」

もともと長濱に「S」評価を与えていた運営にとっても、願ってもないことだった。だが、最終審査を経ていないメンバーをそのまま加入させるわけにはいかない――。

ここから、長濱ねるの特異なアイドル人生が始まることになる。
■長濱ねるの仲間を探そう

欅坂46の運営委員会では、早速長濱の処遇が検討された。

「もう一度、最終審査とまったく同じ状況をつくって、ひとりぼっちのオーディションを受けさせよう」

「長濱を欅坂46に加入させるかどうか、ファンに審判してもらおう」etc .

いくつものアイデアが上がったが、決定的だったのは、欅坂46の総合プロデューサーである秋元康の言葉だった。

「ご両親の思いを考えると、長濱ねるにもう一度チャンスを与えてあげたい。ただ、今から彼女を欅坂46に加入させるのはほかのメンバーに申し訳ない。だから、欅坂46というグループの中に、ひらがな表記の"けやき坂46"というチームをつくろう。長濱ねるをその最初のメンバーにして、彼女と一緒に活動する仲間を探すオーディションもやろう」

この瞬間、「けやき坂46(通称・ひらがなけやき)」というグループが産声を上げた。しかし、実はけやき坂46というグループ名は、欅坂46に与えられるはずの名前だった。都内に実在する「乃木坂」という地名にちなんだ乃木坂46と同様、港区にある坂の名前である「けやき坂」の名を冠したグループになるはずだったのだ。

しかし、画数でグループの運勢を占ってもらう際に、スタッフの連絡ミスで漢字の「欅」を使ってしまった。そしてその欅坂46という名前が最高の上昇運を秘めていたことから、結果的にグループ名としてこの漢字表記が使われることになった、という経緯がある。

つまり、けやき坂46というグループ名は、幻に終わった当初の構想を再活用したものだったのだ。

そして何より重要なのは、欅坂46とは違うけやき坂46というグループに所属させることによって、長濱への反感を抑えようという意図もあったことだ。運営サイドは彼女を合格基準に達していると認めていたとはいえ、最終審査を受けていない彼女を攻撃するファンが出てくるのは予想がついた。そこで、欅坂46の後輩的なポジションにけやき坂46を位置づけることにした。

だが、欅坂46の中にあり、欅坂46とは違うけやき坂46というグループは、いったいなんなのか? 欅坂46のアンダーグループなのか、それとも今までにない新しいものなのか?

このけやき坂46というグループの立ち位置については、運営スタッフも含め、誰も明確な答えを持っていなかった。だからこそ、けやき坂46の歴史とは、そこで活動するメンバー自身が手探りで自分たちの存在意義を探す、地図のない旅のようなものになっていったのだ。
■「ようしゃべる、人見知りしないコ」

オーディションから約1ヵ月後の9月下旬。欅坂46のマネジャーは、グループの冠番組『欅って、書けない?』のディレクターと共に、長濱ねる本人に会うべく長崎へと赴いた。彼女が住む街を歩きながら、ここでどんな生活をしてきたのか、最終審査当日はどんな様子だったのか話を聞いた。

そのときマネジャーが受けた印象は、「ようしゃべるな。人見知りしないコだな」というものだった。

長崎市内で生まれた長濱は、3歳から7歳までの5年間、五島列島の島で暮らしたことがある。入り組んだ海岸線と起伏に富む土地が生み出す豊かな自然のなかで、釣った魚を骨まで食べたり、木登りをして遊ぶような毎日を過ごした。共働きの両親に代わり、昼は近所のおばさんに面倒を見てもらい、"島民みんなが家族"といった雰囲気のなかで成長した。そんな暮らしのなかで培われた人懐っこさが、彼女の人格の核になっていた。

あの乃木坂46のコンサートを見た日から、欅坂46に合流するまでの2ヵ月間は、彼女が生来の人懐っこさを隠さず素直に過ごせた期間である。実は、10月に上京した長濱とほぼ同じタイミングで欅坂46の地方メンバーも東京に来たのだが、彼女たちに長濱の存在は伏せられていた。事務所でも他メンバーと鉢合わせしないように細心の注意が払われ、ダンスレッスンもひとりきりで受けさせられた。

しかし、長濱本人は東京での新しい生活に胸を躍らせていた。オーディションに応募した当時は、自分がどうしてアイドルになりたいのかわからなかったが、本当はアイドルでもなんでもよかったのかもしれない。ただ、決められたレールから抜け出したかったんだと、今ではわかる。

だが、けやき坂46として出発した彼女は出だしからきつい洗礼を受けることになる。
■悲鳴と嗚咽が上がったスタジオ

11月のある日。『欅って、書けない?』を収録していたスタジオに、長濱ねるの姿があった。ほかのメンバーに知られないままサプライズで登場するために、セットの裏で名前が呼ばれるのを待っていた。これから本物のテレビカメラの前に立つと思うと、さすがに怖くなって涙が出てきた。

収録を行なっていたスタジオのほうでは「重大発表」「欅坂46に新メンバー加入」というナレーションが流れ、メンバーたちの悲鳴が上がった。続けて、長濱の両親に取材したVTRの音声が聞こえてきて、長濱のホームシックを誘った。

「欅坂46新メンバー、長濱ねるさんです! どうぞ!」

MCに呼ばれると意を決して涙を拭き、スタジオに入って自己紹介をした。さっきまで悲鳴を上げていたほかのメンバーたちのほうは見れなかった。MCからは、彼女は新グループ・けやき坂46のメンバーになると同時に、けやき坂46の追加メンバーのオーディションもこれから行なうということが説明された。

実は、こうして長濱が登場する直前、番組では欅坂46が行なった初イベントの"メンバー人気ランキング"が発表されていた。CDデビューを目指してみんなで頑張るはずのグループで、初めてメンバーの序列がつけられたことに全員が衝撃を受けたところだった。

その直後の新メンバー加入発表。さらに、MCから「(長濱は)乃木坂でいうところのアンダーメンバー」「(けやき坂46メンバーたちは、現欅坂46メンバーと)入れ替わったりすることもある」と言われ、泣きだしてしまうメンバーもいた。

彼女たちの先輩グループの乃木坂46における"アンダー"とは、シングルの表題曲を歌う選抜メンバーに対して、選抜から漏れたメンバーのことを指す。選抜とアンダーは、人気やそのときの期待値に応じてシングルごとに入れ替わる。つまり、アンダーの長濱が入ってくることによって、今後グループの中で激しい競争が行なわれることになると全員が思い込んだ。

そんな騒然とした状況のなかで、長濱にとって思わぬ出来事が起きた。番組の1本目の収録を終え、2本目の収録が始まる直前、長濱は隣に座っていたあるメンバーからはっきりと宣告された。

「ごめんやけど、私、仲良くなられへんと思う」

グループに加入した瞬間、長濱は仲間であるはずのメンバーから強い反感を持たれてしまった。こうして、"ひとりぼっちのアイドルグループ"けやき坂46は、波乱のなかで活動をスタートした。

(第1話 終)


<第2話 初めて仲間になれた日>
■子供の頃に感じた「女の子って、怖いんだ」

欅坂46の初期メンバー、米谷奈々未がオーディションを受けたのは高校1年生のときだった。大阪府内でも有数の進学校に通っていた彼女は、学校の都合で審査に遅れて参加することもあったりと、加入前から学業との両立に苦労していた。親はアイドルになることに猛反対していたが、きちんと勉強を続けることを条件に、自分で親を説得して欅坂46のメンバーになった。

そんな彼女の前に、突然、長濱ねるという新メンバーが現れた。番組で流された紹介VTRによると、親の反対に遭った彼女は、オーディションの最終審査も辞退し、ただ泣いているばかりだったという。なのに、こうして後から加入を許された。

――自分はこの子のことを認められるだろうか?

正直すぎる米谷は、収録の合間にはっきりと長濱に告げたのだった。

「ごめんやけど、私、仲良くなられへんと思う」

この言葉に、当然、長濱はショックを受けた。次の収録が始まってからも、涙をこらえるのに必死で声が震えた。

ただ、自分だけ後から入って拒絶されるのはこれが初めてではなかった。3歳から長崎の五島列島で育ち、"島民みんなが家族"という環境のなかで過ごしてきた彼女は、小学2年生のときに長崎市内の学校に戻ると、いきなり壁にぶつかる。島育ちの人懐っこいこの転校生を、周りの女生徒たちは「ぶりっ子してる」と言って拒んだのだ。このとき、彼女の人生観が早くも決定された。

「女の子って、怖いんだ。少しでも目立つと、いじめられるんだ。私はなるべく目立たないように、みんなに気をつかいながら生きよう」

欅坂46メンバーと合流して活動するようになってからも、長濱は目いっぱい気をつかいながら振る舞った。年下のメンバーにも絶対に"さんづけ"をし、メイクは必ず最後に入った。開けたドアは全員が通るまで持ったままにする......。「自分は後から入ってきた後輩だ」と思っていた長濱にとっては、これは当然の義務に思えた。
■涙を流して抱き合った舞台袖

番組収録から1ヵ月半が過ぎた12月後半、長濱と欅坂46のメンバーたちは新たな課題に取り組んでいた。翌2016年の1月に開催される「新春!おもてなし会」というイベントのためのレッスンが始まったのだ。まだ持ち歌のなかった欅坂46は、このイベントではダンス部や音楽部に分かれ、それぞれ内容の違う演目をファンの前で披露することになっていた。

そんななか、演劇部に振り分けられた7人のメンバーに長濱と米谷の姿もあった。

長濱は、米谷とあれ以来ロクに話していなかった。ほかのメンバーにも、なれなれしいと思われるのがいやで近づきすぎないようにしていた。

ある日、たまたまほかの5人がコンビニへ買い物に出かけると、長濱と米谷がふたりきりになってしまった。しばらく気まずい空気が流れた後、ついに長濱は腹筋やスクワットを始めた。「私は筋トレをやらなきゃいけないので、話しかけなくても大丈夫ですよ」という意思表示のつもりだった。

一方の米谷は、話すタイミングを失って焦っていた。実は、米谷は当時のブログにこんなことを書いている。

「(長濱の加入を)聞いた時は混乱と不安だらけでした。今もなんかモヤモヤしてるとこもあるのかな...。でも、もう同じ欅のメンバーやから! 少しずつになってしまうかもしれないけど仲良くなっていけたらいいなと思ってます」

まだこだわる部分がありながらも、同じグループのメンバーとして親しくなりたいという思いが正直につづられていた。この頃、彼女は長濱との関係についてマネジャーにも相談している。どうすればあのとき自分の言った言葉について謝れるのか、いつも考えていた。

そんなふたりの関係が劇的に変化したのは、「おもてなし会」の当日だった。

長濱の加入発表以前に「お見立て会」というイベントをすでに経験していた他メンバーとは違い、長濱にとってはこれが初めてのイベントだった。楽屋で出番を待っているときから、怖くて涙を流していた。舞台袖からステージを見ると、足がすくんだ。

しかし、いよいよステージに立つというそのとき、長濱の背中を誰かが叩いた。

「頑張って!」

振り返ると、米谷がいた。思いがけない言葉に、長濱の気持ちは揺さぶられ、号泣してしまった。米谷もまた、その顔を見てもらい泣きした。そしてふたりは涙を流しながら抱き合った。

ステージに出る直前、たった10秒ほどの出来事だった。しかしこれが、それまでのふたりの関係性が鮮やかに逆転し、お互いがかけがえのない仲間になった瞬間だった。

これをきっかけに距離が縮まった長濱と米谷は、プライベートでも一緒にノートを開いて勉強をするような関係になる。そしてしばらくたったある日、米谷は長濱の目を見て真剣に言った。

「ごめんね」

かつて「仲良くなられへんと思う」と言ったことを謝っているのだ。もう何も気にしていなかった長濱のほうが、きょとんとしてしまった。米谷にはこういうバカ正直なところがあった。

そんな米谷のようにはっきりと口にはしなかったものの、長濱が加入した当初は素直に受け入れられなかった欅坂46メンバーも多かった。しかし、長濱の過剰に気をつかう性格の奥には、島育ちの人懐っこさがあった。同じ時間を過ごすなかで、長濱と欅坂46メンバーとの関係は徐々に解きほぐされていった。

2月、欅坂46のデビュー曲『サイレントマジョリティー』のMV撮影が行なわれた。けやき坂46のメンバーである長濱ねるは、この楽曲に参加していない。しかし、それまでのすべてのレッスンに自主的に参加し、MVの収録にも同行して欅坂46メンバーを見守っていた。

夜の渋谷駅前、寒空の下で覚えたばかりの振り付けを何度も何度も繰り返すメンバーたち。初めてのMV撮影は誰にとっても過酷なものだった。しかし、カットがかかるたび、メンバーのために温かいスープをよそったり、カイロを渡したりする長濱の姿がそこにはあった。そしてそんな彼女の温かさにひかれるように、欅坂46メンバーたちも自然と彼女のそばへ寄り添うようになっていった。
■それでも欅坂46に私はいない

3月に入って『サイレントマジョリティー』のMVが公開されると、"サイマジョ現象"ともいうべき状況が起こった。

君は君らしく生きて行く自由があるんだ/大人たちに支配されるな/初めから そうあきらめてしまったら/僕らは何のために生まれたのか?

そんな歌詞に込められたメッセージ性が若年層を中心に共感を呼び、ティーン誌のアンケートなどでもすぐさま「好きな曲1位」に挙げられるようになった。その夏、テレビの音楽特番で行なわれた人気投票でも、AKB48や乃木坂46の代表曲を抑えて1位を獲得するなど、この一曲だけでアイドルシーンのすべてを変えてしまうような勢いだった。

だが、けやき坂46のメンバーという立場だった長濱ねるは、そこにはいなかった。MV撮影と同様、ジャケット撮影にも立ち会ってはいたが、自分ひとりだけカメラマン側から見学していた。欅坂46のメンバーたちが渋谷のファッションビルの壁面を飾っているのを見て、不思議な気分になった。

「世の中の人たちが知ってる欅坂46に、私はいないんだなぁ」

2016年4月6日に発売されたデビューシングル『サイレントマジョリティー』。そこに収録された6曲のうち、彼女が参加した楽曲がひとつだけある。『乗り遅れたバス』という曲だ。"けやき坂46の長濱ねるのセンター曲"として作られたもので、グループに遅れて加入した彼女の境遇が詞に歌われている。

ごめん/一人だけ 遅れたみたい/あの場所に/誰もいなくて/どこへ行ったらいいのかなんて/わからなかった/片道の夢/手に持ったまま/坂の途中で/途方に暮れた

長濱はこの歌詞をもらったとき「神様がいるのかな」と思ったという。特に、「坂の途中で/途方に暮れた」という部分は、オーディション最終審査の日、母親に手を引かれて坂道を上っていく自分の姿を、天から見ていた神様が描写したとしか思えなかった。

そんな彼女にも、いよいよ仲間のできる日が近づいてきた。
■前代未聞のオーディション

前年11月、長濱ねるの加入発表と同時に告知されたけやき坂46の追加メンバーオーディションは、ちょうど欅坂46が『サイレントマジョリティー』でデビューした頃、大詰めを迎えていた。

4月下旬の時点で3次審査を通過した候補者は18人。このときの候補者は、今までにない試みを経験することになる。それがインターネット上の動画配信サービス「SHOWROOM」での個人配信だ。

"仮想ライブ空間"を標榜するSHOWROOMは、個人のPCやスマホを使い、リアルタイムで映像を配信できるサービスだ。後に、欅坂46でもメンバーの個人配信が行なわれるようになったが、同グループのSHOWROOM利用はこれが初めて。乃木坂46やAKB48グループを含めた上でも、オーディションでの運用はこのときが最初だった。

期間はちょうど1週間。オーディションのための特設ページには次のような文言が記されていた。

「イベント期間中の配信内容、獲得ポイント数、順位等は審査過程の参考とさせて頂きますが、直接的に合否には関係ありません」

SHOWROOMは、配信中のファンのコメント数やギフトと呼ばれるアイテムの投げ込みによってポイントがつくシステムになっている。「直接的に合否には関係ありません」とは書かれているものの、この順位が最終審査に響くかもしれないし、審査する側も配信をきっと見ているだろう......。何もかもが初めてだったこのときの候補者たちにとっては、これも重要な審査のひとつだと思えた。しかも、審査員以外の多くのユーザーにもジャッジされるのだ。

後にメンバーとなる齊藤京子は「1位を狙って頑張るしかない」と思い、その1週間は配信をするかほかの候補者の配信を見るかという生活を続け、目標のとおり1位になった。齊藤は、このときの状況を「もう"仕事感"があった」と振り返る。

一方、同じくメンバーとなる井口眞緒は、スマホで自分の顔を大写ししながら大声で歌うなど、アイドル志願者とは思えない自由な配信で注目を集めた。この井口の配信では、ユーザーが自分のアイコンを変えられるアバター機能を使い、全員が同じ"だるま"の姿になった上で大量のだるまをギフトとして投げ込むなど、すでに強固なコミュニティが出来上がっていた。

そんななか、いつもきっかり30分間、顔出しなしで声だけの配信を行なう変わった候補者がいた。それが当時中学3年生になったばかりの影山優佳だった。

(第2話 終)
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こちらの音ゲーで、長濱ねるが出ているという話を聞きつけたぼく。







こりゃやるしかない! やらないという選択肢はないやろと思い、
即効、ダウンロードしたわけですが……。

だらだらとしたストーリーが流れ、
推しメンみたいなものを選べと言われて、戸惑いつつ、
当然、ねるちゃんはいないわけで……。

面倒になって、
山 天というこれまた変わった名前の子を選択しました。

それはともかく、音ゲー、リズムゲーはほぼ初めて。
熱中している間に、ねるちゃんをきちんと見れず。

すぐに、ゲームオーバー。

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そうこうしてるうちに、右手首が痛くなってきました。

はかなくも終了です。
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8月に注文していた特別グッズが送られてきました。



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イベント後の最後のラジオ出演のオールナイトニッポンも、
最後のテレビ出演の「欅って、書けない?(けやかけ)」も保存することに成功しました。



ねる以外、特に推したい人も見つけれてないので、なんだかなぁですね。

消えてしまうブログを必死で保存しようとしたけど、ここまでで力尽きました。

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何とか行ってきたんですけど、
長濱ねるの最後を見届けたんですけど、
握手会のときのような愉快な長文は書けません。
それだけ「ねるロス」がひどいです。



イベント会場は幕張メッセで、何となくアクセス方法を検索しましたけど、
行けるはずもなく。
諦めていましたが、7月に入ってからライブビューイングがあるという情報が……。






会場は外れることはないだろうと予想した「TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ」を選択。
ミッドランドシネマだと多い可能性もありますからね。
名古屋ベイシティ、初めて行きましたが古いせいかなんだか寂れてましたね。
会場は広くて問題なかったのですが、何となくのスペースが車いすで、介助者はパイプ椅子という。

それで初めてのライブビューイング。
ほとんどが作ったVTRでした。
これだったらライブビューイングで十分でした。

会場紹介VTR
ねる登場
公開ラジオ・欅坂46 こちら有楽町星空放送局(こち星)
「長濱ねるが伝えたい5つのありがとう」というドキュメンタリー映像
今日のための書き下ろし曲「立ち止まる手前で」
お手紙
お見送り


確かこんな感じだったと思います。
メンバーが出てきて、わちゃわちゃして泣くというありがちな演出は無くて良かったと思います。
ライブビューイングでも緑のサイリウムを持っている人が数名。
結構、女性もいました。

最後の手紙で、

「この4年間ずっと放電してるような日々で……気づいたら心が空っぽになってしまいました。人前に立つことから距離を取りたいと思ってます。」


この部分は印象に残りました。
マジかと思う半面、やっぱりと思いました。
入ったときの長濱ねるは知りませんが、写真集が発売される少し前から気になりだして、
3月の握手会前後で火がついて4ヶ月後に終了って儚いものだなと思います。





終わったライブ会場も、ライブビューイング会場も、どこかお通夜ムードでした。
またいつかひょっこり芸能界に戻ってくる可能性も無きにしもあらずですが、
ある意味、長濱ねるは伝説になってしまったと思います。
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欅坂46の世界観(楽曲と歌詞)が好きで、わりと聴いていました。
AKBグループの違いが分からない方は、以下が参考になります。



歌詞が好きということは、60過ぎた秋元康というおじさんを礼賛していることにもつながるのですが…
ある日、メンバーの長濱ねるちゃんという子の顔面が、どタイプだということに気がつきました。
顔が、どタイプなことって今までなかったのですが、自分にとって、ど真ん中・どストライクでした。
ねるという名前も妙に気になりました。本名だそうです。

写真集も購入しました。


表紙を飾っている雑誌も何冊かあります。
握手会に参加するという発想はなかったのですが、急に行ってみたくなりました。

ということで、欅坂46の握手会に初めて参加しました。
世間で散々言われてたり、ときどき一部の思い込みが激しいおかしな人間が事件を起こしてるのに続けられているAKB系・坂道グループのイベントです。

システムやルールがパッと見では分からないので、欅坂46のLINEグループに潜入して質問したり、参加したことある人に聞いたりしました。

www.keyakizaka46.com

このページが現れるのはイベントの前日なので、初参加の人間としては、
前回のお知らせを見たりして、傾向と対策を立てるしかありませんでした。
過去のお知らせでも、ルールがありすぎて理解するのに時間がかかりました。

書いてある方が珍しいですが、もちろん障害者のことは一切書いてありません。
ファンから「障害者専用レーン」みたいなのがあるから優先されるんじゃないですかね。と言われるまでは気づきませんでした。

しかも、「全国握手会(全握)」と「個別握手会(個握)」に分かれるのは知りませんでした。
ざっと言えば、全握は誰でも握手できる。個握は抽選。
個握の方が、人数が限定される分、推しメンと長くお話ができるそうです。
一応、抽選にも長濱ねるちゃんで応募してみましたが、普通にハズレました。(笑)

全国握手会の参加方法


まず、限定版のCDを購入します。



そうすると、1枚、参加チケットが入っています。
これでいろいろと出来ます。
ミニライブ(ミニラ)だったり、握手会だったり、ポスター交換だったり、
それぞれで1枚消費されるので、注意しなければいけません。
すごい商売だなと思いますが、たくさんCD買う人の気持ちは分からなくはないです。
握手会については、複数枚持っていることで多くの時間、交流できるそうです。
一応、ミニラも興味があったので時間的に厳しいかなと思いつつ、2枚入手しておきました。
握手会は、ヘルパーさんは握手しないとして、
ミニラってどうなるのかな。券2枚必要?と思い、一応問い合わせフォームがあったのでメールしましたが、返事の確認は出来ませんでした。

衝撃の発表


www.keyakizaka46.com

1週間くらい前に、長濱ねるちゃんの卒業発表がありました。
ここ1ヶ月、休みがちだったのでファンの間で噂はあったようですが。
グループ卒業のニュースなんてありふれていて、今まで気にもしていなかったのですが、
これはショックでした。
卒業後が未定というのも不穏な空気で、芸能界引退となると残念でなりません。
この発表後、絶対に体調を崩せない一週間が始まってしまった。と思いました。
今年に入って既に感染症に2回もかかっていたのでいろいろと怖かったです。
何とか何事もなく当日を迎えることができました。

当日ミニライブ


前日の予定発表で、時間的にミニラは途中入場になることを確認。まぁ想定内ですが、
券の必要枚数が分からなかったので、行き当たりばったり感がある当日だなと思いました。
予想通り、真ん中くらいの時間からの参加でした。
途中入場が可能かどうかもよく分かりませんでしたが、係員に聞いて聞いて、
伝え伝えに行ったら、スムーズに入場できました。

券は1枚消費で、介助者分の引き換えチケットももらえました。
これは通常ルールがそうなっているのか、途中入場だったからめんどくさくて出したのか、
よく分かりません。
介助者のパイプ椅子も出てきました。

・カップリング曲「ヒールの高さ」
・欅坂46二期生の紹介
・黒い羊

以上を聴けましたが、オタたちに圧倒されました。
今まで様々なライブに参加してきましたが、雰囲気は特殊でした。
アンコールもあるのかなと思っていましたが、ありませんでした。

握手会前


一旦、全員退出させて一時間後に握手会開始でした。
同じ場所を握手会仕様に設営するのですから、運営さん、ご苦労様です。
車いすの人は、入り口で待ってもらってもどちらでもいいですよと言われました。
トイレに行きたかったので、少し外れの人がいないトイレを見つけることができました。
なんやかんや散歩したり、ポスター交換の行列を眺めていたら、
あっという間に開場時間に。

入場


列がめっちゃ出来ていました。
拡声器の人が「いつものように……」と説明していましたが、いつもを知らんがなと笑えました。
その横から先に入るのだから申し訳ないと思いつつ、入場。
しーんとしたポートメッセなごやの展示館の中が見れるのもなかなか貴重です。

荷物チェック


警備員がたくさん待機していました。
地元で雇われたと思われるバイトっぽいおじいさんに、カバンの中身をチェックされました。
ペットボトルのお茶は一口飲んでくれと言われ、ヘルパーが僕に渡そうとしたら、
おじいさん警備員「いや、あなたで。」
ヘルパー「え?これ、僕の飲み物じゃないから……」という奇妙なやりとりがあって、
結局、僕が飲みました。
友人から吸引器についても何か言われると聞いていましたが、特にありませんでした。
そして、それで終わりではありません。
別の人からのポータブル金属探知機のチェックがあります。
どういう状態が反応しているのかよく分からないのですが、
ヘルパーさんも僕も微妙に鳴っていました。
「うーん。ファスナーでも鳴ることがあるからなぁ。」と言われ、特に裸にされることもなく許可が出ました。

レーン


そして、レーンが25レーンもあります。
誰と握手しますか?とお兄さんに聞かれ、間違われないようにスマホで指差したら、
「長濱ねるさんですね」とはっきりした声で言われました。
障害者レーンは2つあるような感じでした。
そこに推しメンが担当レーンから来てくれるようでした。
待っている診察室に医師が駆けつけてくれるような感じです。

待ち時間


車いす以外の人は出されたパイプ椅子で待ちますが、全員が車いすという感じではないようでした。
障害者手帳の有無で決めているのかもしれませんが、僕に対して障害者手帳の提示は求められませんでした。拡声器に酸素マスクのフル装備で行ったから?
待っていると係員のお姉さんがやってきて、「さっき聞かれたかもしれませんが誰と握手しますか。」と聞かれました。
「あ、ねるちゃんですね」とレストランで注文を取るように紙にメモしていました。
一般の人の入場が始まり、すぐに長濱ねるちゃんのレーンに行列ができていました。

握手本番


突然、係員のお姉さんから「長濱ねるさんと握手する人は並んでください」と号令がかかりました。
レーンにいた人の半分くらいは、並び始めました。
他の並ばない人が誰とするのか気にはなりましたが。
付き添いの方は、中に入るかどうか選べるような感じでしたが、
ヘルパーさんはどちらでもいいような感じだったので、ついたての外で待機でした。
近づくにつれ、ついたての向こうで行われている気配が感じられます。
どんどん進みます。結構、早いペースです。
直前に荷物を置くカゴがあって、手を上げろ(命令口調ではないけど)と言われます。
直前の人が握手してる時点で、長濱ねるちゃんの姿を拝むことができました。
それで自分の番になり、間にある長机が邪魔で手が届かないなと思っていたら、
慣れたもので、言わずとも誰かがどかしてくれて、ねるちゃんがさっと近づいて握手してくれました。
可愛すぎて、女神すぎて、意識が喪失しそうになりましたが、
ねるちゃんが営業スマイルを感じさせない営業スマイルで、何か言ってくれました。
僕の不明瞭な声で一か八か、
「最後に会えて良かったです」って言ったら、
ねる「本当にねー。ありがとうね」と返してくれました。

本当にってのがウケたけど。
ねるちゃんの手は、少しカサカサしていて働くお母さんのような手をしていました。
あらためて重労働だよな…と思いました。

終わって


終わったあとのフワフワ感は、何か薬物をやったような感じなんでしょうか。
既にもう、ねるに会いたいという中毒症状が出ています。
最初で最後、ものすごい幸運でした。

並んている一般の方は、3時間、5時間待つの当たり前と聞くので、
30分くらいで握手できた僕は申し訳ないなと思います。
障害者ずるい。障害者バッシングになったら困りますが、
普段、日常生活で苦労してるので許してくれと思います。






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長崎発地域ドラマ「かんざらしに恋して」-NHKオンライン2019年2月6日(水)[BSプレミアム]午後9時〜放送予定。湧き水が豊富な「水の都」の長崎県島原市を舞台に、名物「かんざらし」の名店「銀流」をリニューアルオープンする物語です。 https://www.nhk.or.jp/kanzarashi/

長濱ねるちゃんしか見ていなかった。
「かんざらし」食べてみたい。味の想像が全くつかない。
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長濱ねるちゃんのライブ配信を見るためだけに、SHOWROOMとかいうアプリをダウンロード。
今密かにはまっている。
ロリコンではないが、顔が、どタイプ。
ふと思って、生年月日を調べてみたらなんと9月4日で、昔からのファンの島谷ひとみと同じだった。
何かで誕生日が同じことに驚く人がいるが実は大したことではないみたいなことが書いてあったけど、誕生日が同じというのはびっくりする。

24日


あと、僕が気になる女性は月が違えど24日生まれの人が多い。
ざっと思い出しただけで3人もいる。
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