移転しました。

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Tag:障害学



障害学会。http://www.jsds.org/jsds2011/jsds2011-home.html

愛知大学 車道キャンパス。住宅街にそびえ立っておりました。





エレベーターで上がって、結構こじんまりとした感じでした。

最初は休憩時間だったので、ポスター報告を一通り見ることに。
人の合間を縫って(どかして?)全部、ざざっと見る。というか読むというか。
へぇ。って感じでした。きたーーーーってのは、特に無かったな。
各所で、「あ、どうも」みたいな研究者たちのやりとりを尻目に少し寂しさを感じました。

あ、でも、ホワイトハンズ代表の坂爪さんに会いました。
障害者の性にわりと熱心だった数年前に、やりとりしたことがあります。
気づかれなくて、名刺を差し出したら、「春田さん!あなたが春田さんなんですね!」みたいな展開になりました。
僕は、どんな想像をされてたんだろう。
性とは全く関係のない、当たり障りのない地域の話を少ししました。
坂爪さんは、爽やかで背が高かったです。支援者としても聴く感じが、いい感じと思いました。
これからも地味に陰ながら見守り&応援することにします。

まだ時間があったので書籍コーナーへ。障害関係があるわ。あるわ。
ヘルパーさんに一冊ずつ取ってもらって、パラパラと。
細かい字の本が多かったです。持ってる本もありました。
で、一冊。これが読みやすそうだったので購入。
人間の条件  そんなものない (よりみちパン!セ)

で、トイレに行ったら、「トイレットペーパーでいたずらをしないで下さい」という意味不明な貼り紙。




さあ始まります。

聴いたのは、
◆山田裕一「発達障害当事者会の意義と連携―熊本県発達障害当事者会立ち上げ支援と今後の展望―」
これは、まあまあ面白かった。
身体障害者だと明確な目標、自立生活などが挙げられるけど、
発達障害者は、なかなか共通の目標が立てづらいというのが印象に残った。


◆青野美和「「剥き出し」の世界との対話―アール・ブリュットの意義をめぐって―」 
これは、ごめんなさい。さっぱりでした。
ようするに何が言いたいのか。。。当事者置き去りの学者の手遊びとしか思えなかった。
もう少し素人にも分かるように説明してほしかった。


大会シンポジウム「愛知における障害者運動―労働をめぐるとりくみと現代的意義―」
これの途中で時間が来て終了。
そんな感じかな。


おまけ


向かいの古民家。

障害学MLというのに入ってます。
障害学への招待という本を読んでいたら、書いてあったので入会してみました。

しかし、レベルが高すぎて、まだ一度も投稿したことがありません。
読んでもさらっと読み流す程度です。

いきなり、福島智先生が投稿されたりしてびっくりすることもあります。

そこで、障害学会のお知らせが届きました。なんと今年は、名古屋での開催。

プログラムを見た感じ、特別興味があるものがなかったのですが、
参加します。
http://www.jsds.org/jsds2011/jsds2011-home.html

10月2日(日)12時過ぎ〜14時45分頃まで。

短い時間ですが、この間なら会場のどこかにいると思うので、
お声かけ下されば、うれしいです。
同伴したい奇特な方は、ご連絡下さい。
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専門家から言わせれば、そんなもんは障害学とちゃう。と言われるかもしれないけど、

このブログで障害者福祉のことを書くときは、
「障害学」の視点で書きたいと常々思っている。


どうしても、当事者ゆえか、
障害があります→だから優しくしてください→配慮してください。
障害者だから・・・
障害あるから・・・だから・・だから・・(泣)

そういう視点で読み解かれてしまう場合もあるかもしれないが、
個人的には、そういう視点では書いていないつもりである。

 「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組みからの脱却を目指す試みである。そして、障害者独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目する。」http://www.arsvi.com/ds/ds.htm#l1

障害学の主張

コミュニケーション方法としての「手話」のコメント欄において、榎本さんが興味深いサイトを紹介してくれましたので、

ここで改めて取り上げておきます。



ろう文化は自閉文化のモデルになりうるか



そもそも、ろう文化ということ自体を私は知らなかったのですが、

この文章を読んでも、いまいち「ろう文化」ということに対して、そうだそうだとは思えませんでした。

経験値が少ないせいだと思いますが。

作者の、ろう文化と同じく自閉文化も!という提言については納得できました。



それで、この文章の中で、いくつか気になったところを引用しておきます。

気になった、心の針が振れたということで、賛成反対についてはあえて書きません。



「ろう者」というのは、聴力の有無で決まるのではなく、「ろう者らしいふるまい、行動をするかどうか、手話という言語を共有しているか、ろう者文化を共有しているかどうか」で決まるのだということです。同じように聴力がなくても、中途失聴者や難聴者など「ほかの耳のきこえない人たち」は、共通の文化を持っていないから、「ろう者」ではないのに、聴者にはこの区別が見えず、「ろう者」が自分たちの文化、社会を大切に思う気持ちをつかみそこなうことが多いという話でした。


ろう者の社会では、自分たちも障害者、視覚障害者や肢体不自由者も障害者、同じ障害者どうし、というようには考えられていない、というのです。盲(もう)の人や肢体不自由の人は、まず「聴者」。そして、「聴者」の中のサブタイプとしての「障害者」だという感覚があるというのです。


まだ聴者の世界には、手話が日本語の代替手段だと思っていたり、手話を使うと日本語が上達しないと思っていたり、いろいろ誤解をしている人が多いのには腹が立ちます。ろう文化でさえ、まだまだ認められていない、知られていないのだから、自閉文化だなんて夢のまた夢かもなー、と、ちょっとブルーになってしまったマルハナバチなのでした。


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リニューアルされた「おしえて!障害のこと」を

見ながら...ふと思ったこと。

I am 健常者!と自信を持って言える人って

どれくらいいるんでしょう?I am ... ?? - 障がい者の就労支援 in なにわ(別館)


瞬殺してしまったおいらと違って素晴らしい。



以前、ここで語っていた爆笑問題のニッポンの教養での福島先生によると、



「障害とは、その時代で、その社会が決めている、非常に社会的なもの。」とおっしゃっていた。

産業革命以後、肉体労働が出来ない人を障害者と決めていったと。

障害者手帳にしても、非常に社会的なもの。

こうこうこういう条件に当てはまる人。と定義しているわけだから。

障害とは、

「その時代で、その社会が決めている。非常に社会的なもの」

システム→障害者手帳



絶望=苦悩−意味



絶望+意味=苦悩



苦悩と絶望は違う。

苦悩があるから、しんどいから不幸ではない。

意味をそこに見出せれば、絶望ではない。





障害学というのは、興味がある。

http://haruta.blog.jp/archives/51238953.html

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爆笑問題のニッポンの教養 | 過去放送記録 | FILE074:「私は ここに いる」 | 福島智(ふくしまさとし) | 2009年6月9日放送分



テレビ欄を見て興味があれば録画するのですが、

非常に興味深かった。

ざっと1回流して観ただけなので、まだ自分の中でおさまっていないというか、

咀嚼出来ていないが、「障害学」というのはもうちょっと学んでみたいと思った。



というか、障害者福祉で僕が学びたかったことって、

これなんじゃないかと。



大抵、福祉の勉強というと、障害者福祉の歴史というか、

システム論であったり、制度論の話だ。

とても大事なことだと思うけど、僕には合わないなと大学在学時からずっと思っていた。

その合わないという気持ちが、経営の勉強であったりNPO論であったりという少し離れた位置の勉強をさせていたのだと思う。



障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)とは簡単に言えば、障害、障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育といった「枠」から障害、障害者を解放する試みである。障害学への招待:社会、文化、ディスアビリティ




1、2年前に「障害学」という言葉を知って、

僕がやりたかったのは、これなんじゃないだろうかと思った。

というか、日福で勉強したかった。

今はどうか知らないけど、こんな感じの科目無かったもんな。



まだ入り口にいるだけなので、学んでみると自分が思っていたのとは違う。という展開も無きにしも非ずですが。



新しい面白い考え方を確立できるのではないだろうか。と期待している。

障害学への招待―社会、文化、ディスアビリティ



障害学の主張

参考;NHKラジオ07’5.20



ピアカウンセラー

点字活動→交流



重荷になることも



【相談相手としての当事者】





障害がある人とない人をつなぐ



ピアカウンセラー



障害を持っている人はサービスの受け手ではなく、担い手





一人一人の人生は違うが、爪の先から頭の先まで使えるのが、

ピアカウンセラー、良かったことも悪かったことも含めて。





自分には、何が必要なのか、

自分の望みを叶えていくためには何が必要なのか。



広げていく





自分の経験してきたこと、思ってきたことを生かす。

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