先日、
というような話を聞いた。
これを聞いて、僕は、なぜだかすぐには同調できなかった。
嫌だということは何となく分かるんだけど、「そうですよね〜、僕もそう思います」とはならなかった。
「えっと・・・?」みたいな。
なぜそうなったのかと考えてみたら、
一つに、僕は「見られる」ということに慣れているからなのでは?と思った。
思えば、車いすに乗り始めた小学生のころから、街中では常に視線を感じていたように思う。
小さい子どもなんかは、じーーっと直視するんだけど、
大人は、ちらっちらっと、チラ見。
もちろん、小学生のころから、
車いすに乗ってる人は周りにいないから、珍しいから、みんな見るんだ。ということは認識していた。
特別、嫌というわけでもなかったし、
毎回ではないが、「ぼく、注目されてる!」みたいな一種のヒーローになったような気持ちにさえなることがあった。
大人になった今では慣れてしまったというか、視線を感じることさえ少なくなり、麻痺してしまっているところがあるので、
特になにか思うことはないが、最初に書いた話を聞いてそう思った。
病院で3時間くらいずっと待たされてたんですけど、僕も含めて待たされてる患者さんは受け付けをじっと見てるんですよ。その、じっと見られてる中で仕事するの僕は嫌だな。
というような話を聞いた。
これを聞いて、僕は、なぜだかすぐには同調できなかった。
嫌だということは何となく分かるんだけど、「そうですよね〜、僕もそう思います」とはならなかった。
「えっと・・・?」みたいな。
なぜそうなったのかと考えてみたら、
一つに、僕は「見られる」ということに慣れているからなのでは?と思った。
思えば、車いすに乗り始めた小学生のころから、街中では常に視線を感じていたように思う。
小さい子どもなんかは、じーーっと直視するんだけど、
大人は、ちらっちらっと、チラ見。
もちろん、小学生のころから、
車いすに乗ってる人は周りにいないから、珍しいから、みんな見るんだ。ということは認識していた。
特別、嫌というわけでもなかったし、
毎回ではないが、「ぼく、注目されてる!」みたいな一種のヒーローになったような気持ちにさえなることがあった。
大人になった今では慣れてしまったというか、視線を感じることさえ少なくなり、麻痺してしまっているところがあるので、
特になにか思うことはないが、最初に書いた話を聞いてそう思った。
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