障害の受容とは,自己の身体障害を日常生活との関係で客観的かつ現実的に認め,心のなかにわだかまりのなくなることである。これは身体的,心理的,社会的な三つの側面から考えられる。
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│ │シ│ → │回│ → │混│ → │適│ → │適│ │
│ │ョ│ │復│ │乱│ │応│ │ │ │
│ │ッ│ │へ│ ← │と│ ← │へ│ │ │ │
│ │ク│ │の│ │苦│ │の│ │応│ │
│ │ │ │期│ │悩│ ← │努│ ← │ │ │
│ │ │ │待│ │ │ │力│ │ │ │
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│ 急性期 機能回復訓練期 │
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│ 慢性期 │
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図 障害過程の受容
http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/_kamoku/fukusin/sinsyo_juyo.htm
障害の受容については、いろんな学者先生が述べていると思うし、それぞれ思うことはあると思います。
僕は、特別な専門教育を受けたわけでもないんですが、
まぁ、障害がある者として、ざっくり書いてみたいと思います。
誤解をしている場合もあるかと思うので、訂正があればお願いします。
上記の図は、おそらく一般的に用いられる図だと思います。
矢印が、一方向にだけでなく、進んだり戻ったりして「適応」に向かうものと考えられます。
しかし最近、経験上思うのは、
もう「適応」していたと思っていたのに、いきなり、なにかのきっかけによって「混乱と苦悩」だったり「ショック」に移行する場合もあるような気がするのです。
一つずつ戻るのではなく、いきなり「ショック」とか。
今まで経験したことのない事例や問題に直面するとそうなります。
それでまた、ゆっくり適応に進んでいきます。
その場合、急性期とか慢性期は、あまり関係なくなる。
また、これは障害を持った人だけの問題かと言うと、そうでもないような気がするのです。
一般の人にも当てはまるかもしれませんし、
その社会や地域、支援者、家族など、周りの環境によっても、図での動きは変わってくるように思います。
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